【顔画像】若山富三郎の伝説エピソード!厳しい指導でも有名だった?

芸能

昭和の映画界には数々の名優が存在しましたが、その中でも特に強烈な存在感を放っていたのが若山富三郎さんです。

若山さんは圧倒的な演技力とカリスマ性、さらには数々の伝説的なエピソードを残したことで知られています。

「本物の侠(おとこ)」「日本映画界の怪物」などと称されることもあり、共演者やスタッフからも畏怖される存在でだったそうです。

一方、義理人情に厚い一面やユーモア溢れる逸話も多く、ただの厳格な人物ではなく、多面的な魅力を持つ俳優だったことが分かります。

本記事では、そんな若山富三郎の「伝説」と言われる数々のエピソードを紹介していきます。

映画界の重鎮としての活躍

若山さんは、1930年(昭和5年)に生まれ、戦後の日本映画界で時代劇スターとしての地位を確立しました。

若山さんの代表作には「子連れ狼」があります

柳生烈堂との死闘を描いたこの作品は国内外で高い評価を受け、若山さんの代名詞となりました。

また、彼の実弟である勝新太郎さんも大スターとして知られており兄弟そろって映画界を席巻していました。

しかし、若山富三郎が単なる「スター俳優」にとどまらなかったのは、彼の破天荒なエピソードの数々があったからです。

豪快すぎる伝説の数々

① 食へのこだわりが尋常じゃない

若山富三郎の伝説の中でも特に有名なのが「食」に関する逸話です。

彼は大のグルメであり、1食に100万円以上を費やすこともあったと言われています。

特にすき焼きが大好物で、「肉は最高級でなければならない」と言い自分専用の肉屋を抱えていたほどです。

また、地方ロケに行った際も「この土地で一番うまいものを持ってこい!」とスタッフに指示。

結果、地元の最高級料理を山のように取り寄せ、豪快に食べるというのが日常茶飯事だったそうです。

さらに、「寿司を握る職人の手が冷たいとシャリがまずくなる」との理由で、寿司屋に行くとまず職人の手の温度を確認していたという話も。

② スケールが違うプレゼントの渡し方

若山富三郎は、気に入った人間には豪快なプレゼントを贈ることで知られていました。

ある時、映画関係者のスタッフが「車を買い替えたい」と何気なく話していたところ、翌日には高級外車が自宅に届いたというエピソードが残っています。

また、共演者や後輩俳優にも気前よく高級時計やスーツをプレゼントすることが多かったそうです。

「俺が選んだんだから文句言わずに着ろ!」というスタイルで、プレゼントの額も常識外れ。高価なものをポンと渡す男気あふれる性格でした。

③ 酒の飲み方が桁違い

昭和の映画スターたちは酒豪が多いことで知られていますが、その中でも若山富三郎は別格でした。

彼は大の酒好きで、一晩で一升瓶を何本も空けるのが当たり前。

しかも、飲み方が独特で「酒はコップで飲むもんじゃねえ、器ごといけ!」と、時には徳利のまま豪快に飲み干すこともあったとか。

④ 現場での圧倒的な存在感

若山富三郎が映画の撮影現場に入ると、その場の空気が一変すると言われていました。

彼がスタジオに入る際は、スタッフが「先生、入られます!」と声を上げ、まるで武士が大名を迎えるかのような雰囲気になったそうです。

また、映画のワンシーンで相手役がうまく演技できないと、「芝居は気持ちでやるんだ!」と喝を入れ、一発で空気を引き締めることも。

若山富三郎の厳しいエピソード

一方で、若山さんには「厳しさ」が強調されたエピソードも残っています。

現在の基準で考えると「パワハラ」と言われても仕方のないものもあるようですが、その厳しさには映画に対する情熱や後輩を育てようとする思いが根底にあったようです。

現場での強烈な喝

若山さんが撮影現場に入ると、空気が一変するほどの圧を放っていたといわれています。

特に、新人俳優やスタッフには非常に厳しく、次のようなエピソードが伝わっています。

  • 若手俳優が台詞を噛んだり、演技が不十分だと判断すると「やる気がないなら帰れ!」と本気で怒鳴る。
  • 監督よりも現場を仕切ることがあり、「俺の映画だ!」という意識が強かった。

ある映画の撮影で、若手俳優が緊張してセリフを噛んでしまった際、若山富三郎は「お前、芝居なめてんのか? そんなもんで通用すると思ってんのか?」と怒鳴りつけ、撮影を一時中断させたといわれています。

また、彼は映画のクオリティにはとても厳しく、「納得いかない演技は撮り直し」を徹底していたため撮影時間が大幅に延びることも多かったとか。

「飯の食い方」にも厳しかった

前述したように若山さんは食に関するこだわりが非常に強ったそうです。

そのため、共演者やスタッフにもそれを求めることがあったといわれています。

  • 共演者が食事中に行儀が悪いと、「お前、そんな食い方じゃ役者の品が落ちるぞ!」と怒る。
  • 一緒に食事をしているときに「飯の食い方がなってない」と感じると、その場で説教が始まる。
  • 「役者はいいものを食え。安いものばかり食ってると芝居が安っぽくなる」と語り、共演者に高級料理を無理やり食べさせることもあった。

ある若手俳優が安い弁当を食べていたところ、若山富三郎が「そんなもん食ってると、芝居に貧乏臭さが出るぞ!」と一喝し、高級寿司を差し入れしたという話も残っています。

飲み会の「強制参加ルール」

若山富三郎は大のお酒好きとしても有名で、彼の飲み会は「参加が義務」のようなものだったと言われています。

  • 現場が終わると、「飲みに行くぞ!」と声をかけ、共演者やスタッフを引き連れる。
  • 断ることは許されず、予定があると言っても「そんなもん後回しだ!」と言われる。
  • 飲み会の席では、若山富三郎が語る武勇伝を静かに聞くのが暗黙のルール。
  • 酒の席で失礼な態度を取ると、「役者としての心得がなってない!」と説教が始まる。

特に、若手俳優に対しては「役者は酒が飲めて一人前だ!」という価値観を持っていたそうです。

もし若手俳優が酔い潰れたとしても、「潰れたら面倒を見る」という面倒見の良さもあったとか。

スタッフへの「独特な指導法」

若山富三郎はスタッフにも非常に厳しく、下記のような指導を行っていたそうです。

  • 映画の撮影中、スタッフの動きが遅いと、「お前のせいで映画が台無しだ!」と一喝。
  • 「準備が遅い!」と怒鳴り、自分で撮影機材を動かし始めることもあった。
  • スタッフの服装にも厳しく、「みっともない格好をするな!」と注意することがあった。

また、衣装担当者に対しても、「この衣装はダメだ!」と突如変更を指示することがあったと言われています。

現場では「とにかく若山先生の言うことには逆らえない」という空気があったそうです。

まとめ

若山富三郎は、ただの映画スターではなく、日本映画界において伝説的な存在でした。

  • 圧倒的な演技力とカリスマ性
  • 破天荒ながらも義理人情に厚い性格
  • どこまでもスケールの大きな生き様

若山さんのような俳優は、今後の日本映画界ではなかなか現れないでしょう。

残した作品や逸話は、今もなお語り継がれ多くの人々に影響を与え続けています。

まさに「最後の昭和の大物俳優」と呼ぶにふさわしい人物だったのではないでしょうか。

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