2025年3月28日、昭和・平成・令和にわたり活躍した喜劇俳優、芦屋小雁(あしや・こがん)さんが亡くなりました。
享年91歳という長寿を全うし、その人生には笑いと苦悩、そして多くの愛が詰まっていたことが、数々の出演作と家族の証言からうかがえます。
この記事では、小雁さんの死因や晩年の認知症との闘い、支えてきた妻や家族構成、過去の結婚歴などを総まとめでお届けします。
■ 芦屋小雁さんの死因は?
芦屋小雁さんの死因は、老衰と発表されています。
2025年3月28日、京都市上京区の自宅にて静かに息を引き取ったそうです。
ここ数年は認知症を患い、介護認定では「要介護3」とされるほどの状態だったとのこと。
それでも小雁さんは、「最後まで役者でいたい」との信念を持ち、舞台やメディア出演、さらには認知症啓発活動にも積極的に関わっていました。
「死ぬまで芦屋小雁でいたい」という言葉には、長年第一線で走り抜けてきた彼ならではの強い思いが込められていたのではないでしょうか。
■ 晩年を支えた妻・勇家寛子(ゆうや・ひろこ)さん
小雁さんの晩年を最も近くで支え続けたのが、30歳年下の女優・勇家寛子さんです。2人は1996年に再婚し、それ以降は公私ともに深い絆で結ばれてきました。
2023年には夫婦そろって『徹子の部屋』にも出演し、認知症と向き合う日々を赤裸々に語って話題になりました。
勇家さんは当初、「すべてが終わった」と感じるほどショックを受けたそうですが、小雁さんが「まだ自分にはできることがある」と思い直す姿に励まされ、現在は講演活動にも同行しています。
結婚生活だけでなく、「人生のラストシーン」も共に演じきったパートナーと言えるのではないでしょうか。
■ 芦屋小雁さんの結婚歴と元妻・斉藤とも子さん
小雁さんの私生活は、芸人らしく波乱万丈でもありました。
特に話題を呼んだのが、1987年に結婚した女優斉藤とも子さんとの年の差婚。
当時28歳差ということでメディアでも大きく取り上げられました。
しかしながら、1995年には離婚。原因の一つとして報じられたのが、小雁さんが趣味としていた怪奇・ホラー映画のフィルムコレクションだったと言われています。
斉藤さんはこの“ホラー漬け”の環境に強いストレスを感じていたようです。
ちなみにこのコレクション、かつてはテレビ局からも貸し出し要請が来るほど貴重なものだったそうで、小雁さんの“映画愛”がいかに本物だったかを物語っています。
■ 子供はいるのか?家族構成を解説
芦屋小雁さんにお子さんがいるかについては、公的な情報では明らかにされていません。
ただし、元妻・斉藤とも子さんとの間に子供がいたという説も一部では語られていますが、確証ある報道や本人の発言は確認されていないため、断定は避けられるべきでしょう。
また、兄の芦屋雁之助さんも名喜劇役者として有名で、弟の芦屋雁平さん(初代芦屋凡凡)も含め、西部三兄弟として芸能界に多大な足跡を残しました。
家族ぐるみで芸を極めた、いわば“芸人一族”と言える存在だったのです。
■ 認知症との向き合い方に学ぶもの
小雁さんが認知症を公表したのは、2018年のテレビ出演がきっかけでした。
発症から数年経ち、症状は進行していたものの、彼は「病気だからといって舞台を降りる理由にはならない」と語っていました。
この姿勢は、まさに“人生を演じ切る”という覚悟の表れであり、多くの同世代や介護をする家族に勇気を与えました。
「変わってしまった夫を、変わっていく日常を、どう受け入れていくか」——その答えを、妻・勇家寛子さんは涙ながらに語りながら、こう続けました。
「小雁さんが小雁さんでいようとしてくれたから、私も“妻”でいられました」
これは決して“有名人の美談”ではなく、誰にでも訪れる老いと向き合う姿そのものだと感じさせられます。
■ まとめ:芦屋小雁さんの人生は「喜劇」以上にドラマチックだった
昭和から令和まで、役者として、芸人として、そしてひとりの人間として人々の記憶に刻まれた芦屋小雁さん。
その歩んだ道には、笑いも涙も葛藤もありました。まるで、喜劇と悲劇が同時に進行する“人生劇場”のようだったのではないでしょうか。
享年91歳という長い時間を、彼は「喜劇の精神」で乗り切り、最後まで舞台を降りることなく幕を閉じました。
これからも、彼の残した作品と精神は、見る人の心にそっと灯りをともすことでしょう。
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