福岡市議会議員として活躍していた橋口絵里奈さんが、2025年3月29日、44歳という若さでこの世を去りました。
乳がんとの長い闘病の末、自宅で静かに旅立たれたとのことです。
この訃報は多くの人々に衝撃を与え、同時に彼女の強さや生き方に改めて注目が集まっています。
本記事では、彼女の病気の経緯や死因、また気になる家族構成(夫や子供)について、残された情報から掘り下げていきます。
闘病生活と乳がんとの出会い
橋口絵里奈さんが乳がんを告知されたのは2015年。
当時、リクルートに勤務し多忙な日々を送っていた最中の出来事でした。
ふとしたタイミングで受けた検診がきっかけで、両胸にがんが見つかり、しかもステージⅡという診断。まさに「人生の再スタート」を誓った矢先の、急転直下の出来事だったといいます。
乳がんの治療では、両胸の全摘出と同時に再建手術を受け、抗がん剤治療やホルモン療法も経験しました。
ブログによると、治療中も前向きな姿勢を失わず、「ウィッグ5個を駆使しておしゃれを楽しんでいた」と笑って話す一面も。
まるで嵐の中でも太陽を探すような、強さと明るさが彼女の持ち味だったのでしょう。
死因は乳がんによる体調悪化
2023年には福岡市議会議員選挙にて初当選を果たし、がんを患いながらも政治家としての責務を果たし続けた橋口さん。
しかし2025年1月以降、体調の悪化により公務を休むようになり、3月29日午後、自宅にて息を引き取りました。死因は乳がんによるもの。約10年にわたる闘病生活の末の旅立ちでした。
橋口絵里奈の夫や子供は?
プライベートな部分については、橋口さん本人が「語らない主義」を貫いており、noteでも「プライベートにはあまり興味がない」「話すつもりもない」と明言しています。
ただ、過去には結婚歴があり、7年前(2015年頃)に離婚を経験されているとのこと。
その後、再婚のタイミングは逃したと述べています。
また、子供に関しても、「子供もいたらいいな〜くらいで、いなくても何とかなる」と書かれており、実際には子供はいなかった可能性が高いと考えられます。
つまり、晩年は独身で一人暮らしをされていたようです。
この潔いスタンスは、誰かに寄りかかるのではなく、自分の人生を主体的に歩もうとする姿勢の表れだったのでしょう。
時に「私のプライベートは皆無な女」と自虐的に語る場面もありましたが、むしろそれは、自立と信念の裏返しだったのかもしれません。
家族に対する想いと背景
彼女のnoteの中で唯一家族について触れているのは「実家の父親」のこと。
既に他界されているようですが、「とてもラブラブな家庭で育った」と、幼少期は幸せな家族に囲まれていたことが伺えます。
だからこそ「家庭に夢がない」という一言は、失われた理想への哀しみでもあるのかもしれません。
とはいえ、NPO法人「スマイルサポート」を立ち上げ、がん患者のキャリア支援や社会復帰をサポートし続けた彼女の活動は、まさに“新しい形の家族”を築いていたとも言えるのではないでしょうか。
血の繋がりに頼らない、でも深く支え合える仲間たち。
そのネットワークこそが、橋口さんにとっての”家族”だったのかもしれません。
おわりに|橋口絵里奈という生き方
橋口絵里奈さんの人生は、まるで波乱万丈のドラマのようでした。
病気、離婚、仕事、そして政治の世界へ——常に挑戦を恐れず、笑顔を忘れずに歩んだその姿には、多くの人が勇気をもらったことでしょう。
筆者自身も、橋口さんのnoteを読んで、「困難の中でも人はこんなに明るくなれるのか」と心を打たれました。
ありきたりですが、こういう人こそ“生き様”で語り継がれるべきだと強く思います。
最後に、橋口さんが発信した言葉を借りれば——
「心からあなたが笑って人生過ごせますように」
その願いは、今も多くの人の心に届き続けているはずです。
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