2025年8月、新見ソーラーカンパニーの代表取締役社長を務めていた佐久本秀行(さくもと・ひでゆき)氏が、急逝されたという訃報が公式ホームページにて発表されました。再生可能エネルギー業界で革新的な事業を展開し続けてきた佐久本氏の死は、多くの関係者や市民に衝撃を与えています。
本記事では、佐久本氏のこれまでの経歴、事業への想い、彼が遺した社会貢献活動について詳細に掘り下げていきます。
佐久本秀行氏のプロフィール|出身地と学歴
佐久本秀行氏は1975年に沖縄県で誕生しました。高校卒業後は医療分野に進み、1996年には川崎医療短期大学の放射線技術科を卒業。医療資格を取得し、岡山県新見市の病院に放射線技師として就職しました。
この段階で彼は、まったく異なる分野である「太陽光発電」に出会い、人生の進路を大きく転換することになります。
起業への道|医療から再生可能エネルギーの世界へ
新見市に移住後、仕事と並行して再生可能エネルギーに対する関心を深めていった佐久本氏。ある日、自宅で実験的に取り付けたソーラーパネルで発電に成功したことが、大きな転機となりました。
その成功体験を皮切りに、2009年、34歳のときに「株式会社新見ソーラーカンパニー」を創設。 まったくの異業種からの参入にも関わらず、彼の技術への探究心と行動力は、業界内外から注目を集めました。
起業直後はネットショップで様々な商品を販売して資金繰りをしながら、徐々にソーラーパネルの導入事業を拡大していきました。
新見市から始まったエネルギー革命
新見ソーラーカンパニーが最初に太陽光発電を導入したのは、地元の市長が「まずは自分で試してみたい」とオーダーしたことがきっかけでした。その試験導入をきっかけに、多くの市民や法人が彼の会社に興味を持つようになり、事業は順調に拡大。
さらに注目すべきは、太陽光発電の“その後”にまで着目した姿勢です。
廃棄ソーラーパネル問題と“佐久本式”リサイクル技術
佐久本氏が最も力を入れたのが、「使用済みソーラーパネルの再資源化」です。
日本では2030年代以降、太陽光パネルの大量廃棄が社会問題となると予測されており、それに先駆けて佐久本氏は2015年ごろからリサイクル技術の開発に着手しました。
そして2019年には、**「佐久本式ソーラーパネル熱分解装置」**という独自技術を完成。この装置は、CO₂を排出せずに有機物を分解し、ガラスや金属などの高純度マテリアルを抽出可能とする、画期的なものでした。
この取り組みは国内外からも高く評価され、さまざまなメディアや学会でも取り上げられるようになりました。
地域との絆|新見市での社会貢献活動
新見市に拠点を構える同社は、単にビジネスを展開するだけでなく、地域との繋がりを重視する姿勢も顕著でした。
たとえば、**小学生向けの作文コンクール「ドリームチャレンジャー」**を主催し、夢を持つ子どもたちに実体験の機会を提供するなど、次世代育成にも力を注いでいました。
また、地域住民が集えるカフェや農業事業も手がけるなど、多角的なまちづくりにも貢献してきたことがわかります。
逝去の知らせとその影響
2025年8月、公式ホームページにて佐久本秀行氏の逝去が発表されました。死因については明らかにされていませんが、突然の出来事だったことが伝えられており、関係者の間に深い衝撃を与えています。
現在は、社内体制の整備が急ピッチで進められており、同社は「今後の体制が整い次第、改めて案内する」とコメントしています。
新見ソーラーカンパニーの今後
佐久本氏の急逝により、大きな岐路に立たされた新見ソーラーカンパニーですが、氏が残した**「100%再資源化が可能な社会」**というビジョンは、業界内外に強く根付き始めています。
今後は、彼が設立に関わった一般財団法人PVリボーン協会や他企業との連携を通じ、持続可能なエネルギー社会の実現に向けて、その志が受け継がれていくことが期待されます。
まとめ:情熱と行動力で未来を変えた男
佐久本秀行氏は、医療の現場から再生可能エネルギーの世界に飛び込み、実証実験を繰り返しながら、社会に大きな変化をもたらしました。
その根底にあったのは、「未来の子どもたちに、より良い地球環境を残したい」という真摯な想いでした。彼が築いたものは、決して一過性のブームではなく、これからの社会を形づくる重要な礎となるでしょう。
突然の別れとなってしまいましたが、その足跡は確実に次世代に受け継がれています。
コメント