2025年10月6日午後、福岡市城南区にて、元プロ野球選手で東福岡高校の前監督でもあった伊藤義弘さん(43歳)がバイク事故に遭い、この世を去りました。事故は同日午後2時17分頃、交差点でタクシーとバイクが接触したことによるもので、現場から市内の病院に緊急搬送されましたが、残念ながら午後4時16分、帰らぬ人となりました。
報道によれば、事故が発生したのは住宅街に近い市街地の交差点。詳細な場所や信号の有無、タクシー側の過失の有無などについては今後警察の捜査により明らかになる見込みです。
■ 伊藤義弘さんの経歴:努力と再起の人
● 学生時代からの頭角
1982年6月2日、福岡市早良区で誕生した伊藤さんは、小学校時代にはソフトボールに親しみ、中学では軟式野球部で汗を流しました。地元・東福岡高校へ進学後は、2年生の時に夏の甲子園に出場。全国的にはまだ無名だった当時から、既に非凡な才能を見せていました。
高校卒業後は國學院大學へ進学。速球派右腕として注目されながらも、プロからの指名は受けず、卒業後はJR東海に入社。社会人野球の世界でさらなる実績を積み、都市対抗野球大会では補強選手として王子製紙から出場し、チームを8強に導きました。
● プロ入りとロッテ時代
2007年のドラフトで、千葉ロッテマリーンズに大学・社会人枠の4巡目で指名されプロ入り。背番号はかつての守護神・小林雅英氏が背負っていた「30」。この番号にかける球団の期待も大きかったことでしょう。
1年目から中継ぎとして起用され、51試合に登板。2年目以降も4年連続で50試合以上登板するなど、チームに欠かせないリリーフエースとして活躍を続けました。特に2010年の日本シリーズでは、クライマックスシリーズを勝ち抜いたチームの勢いそのままに、日本一を達成。最終第7戦で胴上げ投手となった瞬間は、今もファンの記憶に鮮明に残っています。
● 故障との戦いと引退の決断
栄光の裏には、体への蓄積したダメージがありました。2012年からは度重なるケガに見舞われ、登板数は激減。2016年シーズンには一軍登板ゼロに終わり、同年10月に球団から戦力外通告を受けます。
その後、トライアウトを経て読売ジャイアンツの入団テストにも挑戦しますが不合格。伊藤さんは潔く現役引退を表明しました。
「悔いはない」と語ったその表情には、やりきった者にしか出せない清々しさが滲んでいたと報道されています。
■ 教育者としての第二の人生
引退後、伊藤さんが目指したのは教員という新たな道。日本体育大学大学院で教員免許を取得し、2020年からは母校・東福岡高校の野球部監督に就任。熱血指導で選手たちと向き合い、2023年夏までその任を務めました。
さらに、2025年9月には「Pitch+(ピッチプラス)」というスローイング専門のアカデミーを立ち上げ、野球指導者としての活動を本格化させたばかり。まさにこれから第二の夢に向かって歩き出した矢先の出来事だっただけに、周囲の関係者やファンの悲しみもひとしおです。
■ 家族との絆──妻と3人の子どもたち
伊藤さんは2009年のオフ、地元・福岡で元看護師の中西沙綾(さや)さんと結婚しました。沙綾さんはリハビリ中の伊藤さんを食事面・精神面から献身的にサポートし続け、陰ながら彼の再起を支えた立役者のひとりです。
2人の間には3人のお子さんがいます(※2016年時点で長男6歳、長女5歳、次男2歳)。詳細な年齢や名前は明かされていませんが、伊藤さんは「子どもたちの笑顔を見ると、どんなに辛くても元気になれる」と語っていたこともあり、家庭は彼にとって大きな原動力だったことが伺えます。
■ 年俸推移とプロでの実績
伊藤さんのプロ生活では、通算257試合に登板し、6勝13敗1セーブ、71ホールド、防御率3.83という成績を記録。中継ぎ投手としては非常に多くの場数を踏み、試合を縁の下から支える役割を担ってきました。
年俸は最盛期の2012年に6,000万円(推定)に到達。しかしその翌年以降は故障により登板数が激減し、年俸も徐々に減額されていきました。それでも、球団からの温情や過去の貢献を評価されていたことがうかがえます。
■ 今後の調査と安全意識への警鐘
伊藤さんが事故に遭った福岡市内の交差点については、信号の配置や視界不良など、交通環境の詳細な調査が待たれます。元プロ野球選手という立場からも、大きく報道されるであろう本件は、あらためて「交通事故の怖さ」を世に知らしめるきっかけとなるかもしれません。
■ 最後に──夢の続きを見たかった
「野球」と「教育」、二つの情熱を持ち続け、プロでの栄光と挫折を糧に次世代へバトンを渡そうとしていた伊藤義弘さん。その姿は、多くの人に勇気と希望を与えてくれました。
生涯を通じてひたむきに努力を重ね、最後まで人との関わりを大切にしていたその人柄は、きっとこれからも語り継がれることでしょう。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
🔍まとめ
- 事故現場:福岡市城南区の交差点、タクシーと衝突
- 経歴:東福岡→國學院大→JR東海→ロッテ(通算257登板)
- 引退後:教員免許取得後に母校監督、「Pitch+」立ち上げ
- 家族構成:妻(元看護師)+子ども3人(長男・長女・次男)
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