2025年も年末の風物詩であるNHK紅白歌合戦が話題になる季節がやってきた。例年通り、出場アーティストの発表には大きな注目が集まり、「あの人は?」「今年は誰が初出場?」という声がネットを賑わせている。しかし、その中で異彩を放っているのが、藤井風の“名前がない”という事実だ。
2021年の「きらり〜燃えよ」メドレーから始まり、2022年の「まつり」、2024年の「満ちてゆく」など、藤井風は毎回ただの音楽披露にとどまらず、芸術性に富んだ唯一無二のステージを紅白の舞台で演出してきた。しかし、2025年はその名がリストに見当たらない。
果たしてこれは“落選”なのか、それとも“辞退”なのか。ファンや音楽関係者の間ではさまざまな憶測が飛び交っている。
本記事では、藤井風の紅白不出場の背景を、彼の2025年の音楽活動やNHKとの関係性、紅白という番組の性質、そして藤井風自身のスタンスから総合的に考察する。
◆ SNSで騒然──「なぜ今年はいないのか?」
NHKが紅白2025の出場アーティストを発表した直後、X(旧Twitter)やInstagramでは次のような声が多く見られた。
- 「藤井風、今年は出ないの?」
- 「毎年楽しみにしてたのに…」
- 「彼のパフォーマンスが紅白の楽しみのひとつだったのに」
それもそのはず。藤井風はこれまでの紅白出演で、視聴者の心を揺さぶる“体験”を届けてきた。2021年の紅白初登場では、故郷・岡山の実家前から中継という意表をつく演出で衝撃を与え、2022年のステージでは社会や人間の在り方に切り込んだメッセージ性の強いパフォーマンスを展開。2024年にはニューヨークからの生中継で、グローバルアーティストとしての風格すら漂わせた。
それゆえ、2025年の“姿なし”は多くの人にとって大きな驚きだった。
◆ 辞退説が濃厚?──「出られなかった」ではなく「出なかった」可能性
まず注目したいのは、今回の不出場が「NHKによる選考漏れ」ではなく、「本人または所属事務所の判断による辞退」の可能性が高いという点だ。
その理由は以下の通り:
- NHKとの良好な関係
藤井風は2025年11月に、NHKによる特別音楽番組「MUSIC SPECIAL」に2度登場している。これだけでもNHK側が藤井風を重要なアーティストとして扱っていることが伺える。 - 特別な“格”の存在
2025年の紅白は出場枠が例年よりも少なく、特に男性アーティストの枠が絞られている。それでも、NHKが藤井風の特番を放送している点を考慮すると、“出られなかった”のではなく、“出なかった”可能性のほうが自然だ。 - 藤井風の音楽活動の方向性
2025年、藤井風は海外レーベルと連携し、全編英語詞のアルバム『Prema』を発表。リード曲「Love Like This」や「Hachikō」は日本よりも海外のリスナーに向けた作品色が強く、紅白の「その年の国内ヒット曲重視」という選考基準とは乖離があると考えられる。
◆ 紅白という枠組みと藤井風の“表現”は相容れない?
紅白歌合戦は、台本や演出、時間制限が非常に厳しいことで知られている。出演者は事前に細かくリハーサルを重ね、本番では決められた分数で曲を披露しなければならない。
藤井風はこれまで、音楽を通して“型にハマらない自由な表現”を貫いてきたアーティストである。紅白の演出に対応するには、一定の妥協や制約を受け入れなければならず、それが彼の芸術性と衝突する可能性がある。
実際、2021年の出演時には「家からの中継」「ゆったりとした語り口」など、紅白の“異端”とも言える演出で登場した。彼にとって紅白は「出ることが目的」ではなく、「伝えたいことがあるときだけ出演する場」なのかもしれない。
◆ 海外での評価と国内テレビの関係
2025年、藤井風は北米ツアーを成功させ、日産スタジアム公演を2日間ソールドアウトさせるという実績を残している。このスケジュールを考慮すれば、紅白のリハーサルや準備に時間を割く余裕がなかった可能性も否定できない。
彼のように、すでに日本国内だけに留まらずグローバルなステージで活動するアーティストにとって、年末の大型歌番組が「必須」の露出媒体ではないという現実もある。
むしろ、テレビ出演を最小限にし、“出ないことで神秘性を高める”というブランディング戦略を選んでいる可能性もある。
◆ ファンが求めるのは“形式”より“藤井風らしさ”
藤井風のファン層は、一般的なJ-POPアーティストと比べて、楽曲の背景やメッセージに強く共感する層が多い。テレビの華やかなステージよりも、ピアノ1本でしっとりと歌うライブ映像や、SNSでの素朴なやり取りのほうに魅力を感じている人も少なくない。
したがって、紅白という「一夜限りの演出番組」に無理やり登場するよりも、YouTubeやラジオ、SNSなどを通じて、“藤井風らしい表現の場”で年末を迎える方が自然だと感じるファンも多いのではないだろうか。
◆ そもそも「出ない」ことがニュースになる存在
2025年の紅白不出場で明らかになったのは、藤井風というアーティストがすでに「出る・出ない」自体がニュースになるほどの存在になっているということだ。
紅白への出演を断っても、特番が組まれ、SNSでは連日名前が挙がる。それ自体が、彼の持つ影響力の証左である。
そして、それこそが藤井風の“真骨頂”かもしれない。誰よりも自由に、誰よりも誠実に、音楽と向き合う彼の姿勢が、「テレビに出る」「賞を獲る」といった表面的な栄誉とは別の次元で評価されているのだ。
◆ 総まとめ:出ないこともまた、藤井風らしい“表現”
最終的に、藤井風が紅白2025に出なかった理由をひと言で表すならば、それは**「選ばれなかった」ではなく「選ばなかった」**ということに尽きる。
- NHKとの関係は良好
- 海外活動が本格化
- テレビよりも“自己表現”を重視
- 限られた紅白の枠よりも、自由な創作の場を選択
藤井風が紅白に登場する日がまた来るかどうかは分からない。けれど、どんな選択をしようとも、彼が届ける音楽は“そのとき最も必要なかたち”で私たちの前に現れるはずだ。
紅白に出ることが「一流」の証だった時代は終わったのかもしれない。いまは、「出なくても人々を動かす存在」が求められている。2025年の年末、藤井風は“沈黙”という方法で、また私たちの心に大きな余韻を残したのだ。

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