【訃報】ジャンボ尾崎(尾崎将司)さん死去|S状結腸がんとの闘病と家族の支え
2025年12月23日午後3時21分、ジャンボ尾崎の名で知られるゴルフ界の重鎮・尾崎将司(おざき まさし)さんが、78歳でこの世を去りました。死因は、長らく闘病を続けていたS状結腸がんでした。
その偉大なキャリアの陰で、どのような家族に支えられていたのか。そして、最期の日々をどのように過ごしていたのか。本記事では、尾崎さんの晩年と家族構成を中心に丁寧にご紹介します。
■ S状結腸がんとは?尾崎さんの死因を解説
S状結腸がんとは、大腸の終わり部分にあたるS字型の腸にできるがんのことを指します。
この部位のがんは、便秘や腹痛などの初期症状が見逃されやすく、発見が遅れることも少なくありません。尾崎さんも公には詳しい病歴を明かしていなかったものの、長期にわたり療養生活を送っていたとされています。
近年は、現役としての出場はほぼなく、弟子の育成やゴルフアカデミー運営など裏方に徹していましたが、2025年の秋頃から急激に体調が悪化。12月23日、家族に見守られる中で静かに息を引き取ったと報道されています。
■ 尾崎将司さんの結婚と離婚の背景
尾崎さんはかつて、義子(よしこ)さんという女性と結婚されていました。義子さんとの間には3人の子供を授かり、長年にわたって家庭を築いていました。
しかし、2006年に離婚。ゴルフ場の開発失敗による事業損失と、義子さん自身の不動産投資の失敗が重なり、多額の債務を背負うことに。そのため、資産保護を目的とした“戦略的離婚”だったとも言われています。
2005年には約50億円とも言われた借金を抱え、民事再生法を申請。その後16億円程度まで債務を圧縮したと言われていますが、夫婦としての関係はこれを機に終止符を打ちました。
■ 子どもたちの現在|長男・次男・娘・孫まで
● 長男:尾崎智春さん
1971年生まれの長男・尾崎智春さんは、父の影響で若い頃からゴルフの世界に身を置いていました。高校時代にはジュニア大会で優勝し、将来を嘱望されていました。
その後、アメリカに渡りプロゴルファーとして活動を開始。1999年にプロ転向するも、ツアー優勝はなく、父のキャディーや指導者としての活動にシフトしました。現在は「ジャンボ尾崎ゴルフアカデミー」でコーチ兼運営理事長を務めています。
● 次男:尾崎貴春さん
情報は少ないものの、尾崎貴春さんという次男がいることが判明しています。
2010年には、父・将司さんに加圧トレーニング器具を持参し、フィジカルトレーニングをサポートするなど、何らかの形で家族として活動に関わっていた可能性があります。
● 長女:尾崎恵里さん
1968年生まれの娘・尾崎恵里さんも、過去にCMで親子共演を果たしたことがあるようです。
その後の詳細な活動や結婚歴などは明かされておらず、プライベートを大切にするスタンスがうかがえます。
● 孫:尾崎将哉さん
智春さんの息子で、ジャンボ尾崎さんの孫にあたる尾崎将哉(まさや)さんは、アメリカンフットボール選手として活躍中です。
2000年生まれ、身長193cm・体重115kgという恵まれた体格を武器に、NFL入りを目指してアメリカで修行を積んでおり、「ジャンボの孫」としても注目を浴びています。
■ 弟子たちへの想いと「ゴルフ道」の継承
晩年の尾崎将司さんは、自身の戦績や名声に固執することなく、若手育成に情熱を傾けていました。
「ジャンボ尾崎ゴルフアカデミー」を設立し、原英莉花、笹生優花、西郷真央など数々のプロを育成。女子選手の活躍に目を細めながら「孫のような存在」と語っていたといいます。
「かわいいもんだよ。孫みたいなもんだ。孫が頑張ってんだから、応援するしかないだろ?」(尾崎将司・晩年のインタビュー)
■ ゴルフ界に残した金字塔
- プロ通算勝利数:113勝(国内男子ツアー最多94勝)
- 国内賞金王:通算12回(初代賞金王でもある)
- 66歳・70歳でエージシュート達成
- 世界ゴルフ殿堂入り(63歳時)
尾崎さんは50代を過ぎてもシニアツアーに出ず、レギュラーツアーで若手と真剣勝負を繰り広げました。「ジャンボ」の名にふさわしい存在感は、引退後もなお色あせることがありません。
■ まとめ|死去後も語り継がれるレジェンドの姿
- 死因はS状結腸がんで78歳で死去
- 離婚後も家族と深い絆を維持
- 長男はゴルフアカデミー運営、孫はNFLを目指す
- 晩年は若手選手の育成に尽力
- 日本男子ゴルフ史上最高の戦績を誇る
ジャンボ尾崎さんの人生は、数々の栄光とともに、多くの後進に夢と道を与えました。その存在は、これからもゴルフ界において大きな灯として輝き続けることでしょう。

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