「歌舞伎町に、誰でも駆け込める場所がある」――その理念を掲げて活動を続けるのが、公益社団法人「日本駆け込み寺」です。
2025年、その代表理事に就任したのは、まだ26歳という若き女性・**清水葵(しみず あおい)**さん。これまでの常識を覆すような抜擢でしたが、彼女のこれまでの人生をたどっていくと、その背景には複雑な家庭環境や人知れぬ葛藤、そして社会に貢献したいという強い意志が浮かび上がってきます。
本記事では、清水葵さんの生い立ちや学歴、ボランティア活動から代表理事就任までの道のりを、ドキュメンタリー風に紹介します。
清水葵の基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 清水 葵(しみず あおい) |
| 生年 | 1999年 |
| 年齢 | 26歳(2025年現在) |
| 出身地 | 京都府 |
| 最終学歴 | 龍谷大学 経営学部 卒業 |
| 現職 | 公益社団法人 日本駆け込み寺 代表理事 |
複雑な家庭で育った幼少期
清水さんが他の子どもと違うことを知ったのは、思春期真っただ中の中学生時代のことでした。
ある日、親からこう告げられます。
「私たちは実の親子ではないの。あなたは里親家庭で育っているのよ。」
突然の告白に、大きな衝撃を受けた清水さんは、そこから心を閉ざすようになっていきます。
自分だけがなぜ「血のつながりがない家族」の中で生きなければならないのか――。その思いが彼女を苦しめ、やがて反抗的な態度や無気力な日々へとつながっていきました。
中学の部活動ではいじめにも遭い、孤立。心の拠り所を見つけることができず、思春期の大半を不安と怒りの中で過ごすことになります。
高校時代の転機|オーストラリア研修で知った「世界の現実」
高校進学後、英語コースに進んだ彼女は、1年生のときにオーストラリアへの短期研修旅行へ参加します。そこで彼女を待っていたのは、豊かな自然や文化だけではありませんでした。
現地で目にしたのは、貧困による格差とそれに向き合う人々の姿。
自分が家庭環境に悩んでいたことが、世界の広い視野から見ると非常に小さく思えた。そんな気づきが彼女の価値観を一変させました。
「世界にはもっと大きな問題がある。私は誰かの役に立ちたい」
この思いが、後の彼女の人生を大きく動かしていく原動力となります。
龍谷大学でのボランティア活動|世界に目を向けた学生時代
進学先に選んだのは、京都にある龍谷大学経営学部。高校時代の経験をもとに、社会課題への関心を強く持っていた彼女は、全国に支部を持つボランティア団体に所属します。
1年生の春休みには、ネパールの山村へ渡り、学校の支援活動に参加。その後も、
- 災害復興支援
- 地域の活性化プロジェクト
- 環境保護キャンペーン
- 児童養護施設での学習支援
など、国内外問わず数多くのプロジェクトに関わっていきます。
3年次にはサークルの支部長を務め、リーダーシップも発揮。人とのつながりを大切にしながら、誰かを助けることが自身の存在価値になると実感していったといいます。
社会人としての壁|理想と現実のギャップ
大学卒業後、清水さんは子どもや親を支える仕事をしたいという思いから、保育園を運営する企業に総合職として就職。若くしてエリアマネージャーの役職も任され、順調な社会人スタートを切ったように見えました。
しかし現実は、理想とはかけ離れていました。
本来は「親と子、地域を支える仕事」をしたいと思っていたはずが、日々向き合うのは人間関係のトラブルや、内輪の問題ばかり。やがて心身ともに疲弊し、わずか数年で退職を決意します。
退社後はしばらく単発バイト(タイミーなど)で生活をつなぐなど、人生の方向性を見失いかけていた時期もありました。
日本駆け込み寺との出会い|運命の再起点
そんな折、知人から紹介されたのが、「日本駆け込み寺」という団体でした。
新宿・歌舞伎町を拠点に、DV被害やストーカー、経済的困窮、ホームレス、そして自殺未遂に至るような深刻な悩みを抱えた人々の最後の砦として活動を続けている組織です。
清水さんは、紹介されたその日のうちに当時の代表に直接話を聞きに行きました。話を聞くうちに、彼女の中に火が灯ります。
「この場所でなら、本当に誰かの力になれるかもしれない」
そしてその場で「ここで働かせてほしい」と直談判。偶然にも欠員があり、2023年10月、日本駆け込み寺の職員として新たな一歩を踏み出しました。
歴史ある団体を継ぐという覚悟|26歳の大抜擢
清水さんが入社して1年もしないうちに、大きな転機が訪れます。
2024年11月、創設者であり代表理事であった玄秀盛氏が退任。その後の組織体制の見直しとともに、清水さんに「次期代表」の白羽の矢が立ちました。
若干26歳。前任者との年齢差や経験値を考えれば、非常に大きな決断です。
しかし清水さんはその重圧を受け止めた上で、「この場所を守っていきたい」と決意。2025年4月1日付で、正式に日本駆け込み寺の代表理事に就任することとなりました。
現在の活動と苦悩|資金難、現場の過酷さ、それでも「居場所」を作りたい
代表に就任したからといって、順風満帆ではありません。むしろ、困難はそこからが本番でした。
前年に事務局長が薬物所持で逮捕される事件が起きた影響で、補助金の打ち切り、寄付金の激減というダブルパンチ。家賃すらままならない状況のなか、清水さんは街頭募金やイベント開催、夜回り活動などに奔走します。
一方で、「ここが居場所」と訪れる若者たちのために、休憩スペースを開放し、悩みを抱える人たちと真正面から向き合う日々を送っています。
あるときは、18歳の女性が「ここに来るとホッとする」と語り、その後、支援する側として清水さんを手伝うようになったエピソードも紹介されました。
清水葵が目指す未来|すべての人に「逃げ込める場所」を
「人と人のつながりが薄れてきている現代で、本当に安心して助けを求められる場所を作りたい」
これは、清水さんが大学時代から一貫して語ってきた信念です。
彼女が歩んできた人生には、挫折もありましたが、そのたびに「誰かの役に立ちたい」という強い想いが根底にありました。
駆け込み寺の再建、そして新しい形の居場所づくりに挑戦する清水葵さん。26歳にして背負った責任は計り知れませんが、彼女の静かな覚悟と行動力は、多くの人の心に届いています。
まとめ|清水葵の生き方は“誰かの希望”になっている
清水葵さんは、普通の道を歩んできたわけではありません。むしろ、困難の連続だったともいえるでしょう。
しかし、その経験を力に変え、人の痛みに寄り添う活動に身を投じている姿は、まさに“現代の駆け込み寺”そのもの。
社会に疲れたとき、誰かに話を聞いてほしいとき――そんな瞬間に、彼女が守り続けている場所がきっとあなたの「居場所」になってくれるはずです。

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