昭和から平成にかけて、ドラマやバラエティで幅広く活躍した俳優・山口崇さん。
その柔らかで知的な雰囲気は、まさに“品格ある役者”の代名詞とも言える存在でした。
2025年4月、彼が88歳で亡くなったという報に、多くのファンが胸を痛めました。
今回は、そんな山口崇さんの死因や晩年の闘病、さらにあまり知られていないご家族や結婚生活についても丁寧に紐解いていきます。
山口崇の死因は肺がん。最後まで役者としての気概を忘れず
山口崇さんの訃報が伝えられたのは、2025年4月21日。
死因は「肺がん」でした。
88歳という年齢を考えると大往生とも言えるかもしれませんが、実は亡くなるわずか5日前まで、「まだまだ生きるよ」と周囲に語っていたといいます。
そのきっかけは、NHK大河ドラマ『べらぼう』のガイドブックのインタビュー。
収録時には声がかすれており、体調の異変に気づいた関係者の勧めで病院を受診。
そこで肺がんが発見されたのだとか。
ある意味、「役者としての最後の出演」が、命のリミットを知らせるサインとなったのです。
このエピソードには、まるで舞台の幕が下りる瞬間まで演じきる俳優魂のようなものを感じます。
長年連れ添った妻・杵屋巳貴との絆。結婚生活は金婚式を迎えるほど円満
山口崇さんは、元女優で長唄の名取・杵屋巳貴(きねや みき)さんと結婚。
二人の出会いは芸能界という舞台の上ではなく、「邦楽」という日本の伝統文化を通じた深いつながりがあったと言われています。
テレビ朝日「徹子の部屋」に夫婦で出演した際、金婚式(結婚50周年)を迎えたことが紹介されていました。
長年連れ添う中で、お互いの世界を尊重しながらも、共通の趣味である長唄を通じて家族の絆を育んできたのです。
しかも、お二人の子ども達もその伝統を受け継ぎ、長唄のプロとして活躍。
今では一家揃って演奏会を開くこともあるそうで、まさに“文化一家”といった趣きです。
長男・山口太郎が喪主に。最期は家族に見守られて
告別式では、山口崇さんの長男である山口太郎さんが喪主を務めました。
芸能関係者ではないようですが、父の最期をしっかりと支えた姿勢から、家族の強い絆を感じさせられます。
山口さんは高齢者施設に入居しており、そこで静かに息を引き取ったと報じられました。
最期の時まで、病気と向き合いながらも穏やかに過ごしていた様子は、「美しい人生の終幕」と言っても過言ではないでしょう。
例え話:人生は舞台。山口崇の“幕引き”が教えてくれること
人生を舞台に例えるなら、山口崇さんの人生は「丁寧に演出された名作劇」だったように思えます。
平賀源内役で一世を風靡し、「クイズタイムショック」の司会者として親しまれ、そして最期は静かに家族の腕に抱かれて旅立つ——。
それは派手さはなくとも、深く心に残る“余韻”のある人生でした。
まとめ:山口崇さんが残した「芸」と「家族」という財産
山口崇さんの死は、一つの時代の終わりを感じさせますが、彼の人生には多くの学びがあります。
- 肺がんという病を受け入れながらも、最後まで前向きに生きた姿勢
- 夫婦として共に文化を育んだ杵屋巳貴さんとの絆
- 子ども達に継がれた日本文化という“無形の財産”
一見、静かな人生に見えるかもしれませんが、その内側には「熱」と「志」が込められていました。
最後に:誰にでも訪れる別れ。でも、残せるものがある
山口崇さんのように、自分の道を全うしながら、家族や文化に愛を残していける——そんな人生を私たちも目指したいものです。
個人的には、山口さんの話し方や立ち居振る舞いにいつも「品」を感じていました。
最近はこうした“品格ある人”が少なくなったように感じるからこそ、その存在がより貴重だったと実感しています。
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