2025年5月14日、日本の音楽界にとって大きな喪失がありました。ギタリスト・徳武弘文さんが73歳でこの世を去ったのです。独自のサウンドと温かみのあるプレイスタイルで、多くのアーティストから信頼を寄せられていた徳武さん。今回はその生涯を振り返りながら、病気や家族構成について掘り下げていきます。
名ギタリスト「Dr.K」の歩み
徳武弘文さんは、北海道函館市出身。1970年代からプロのセッション・ギタリストとして活動を本格化させ、泉谷しげるさんのバックバンド「ザ・ラスト・ショウ」や、吉田拓郎さん、長渕剛さんら多くの著名アーティストを支えてきました。
愛称の「Dr.K」は、海外での活動中に「徳武(とくたけ)」の発音が難しいという理由から派生したニックネーム。まさに音楽界の“ドクター”と呼ぶにふさわしい存在感で、ジャンルを問わず様々な音楽に彩りを加えてきた人物です。
死因は難病による長い闘病生活
数年前から徳武さんは難病により体調を崩し、思うようにギターを弾くことができなくなっていました。詳細な病名は公表されていませんが、筋力や神経に影響を及ぼす重度の疾患だったと推測されます。2024年には、息子であり同じくミュージシャンとして活動する徳武孝音さんを中心に、旧友たちが集まってチャリティライブが行われるなど、病と闘う徳武さんを支える動きが広がっていました。
病と向き合う姿勢は、まるでギターの弦を一本一本丁寧に張り直すような、誠実で力強いものでした。医療が進んだ現代においてもなお、治療が困難な病気があることを、彼の人生は私たちに静かに教えてくれます。
結婚していた?妻(嫁)や家族構成について
公の場では多くを語らなかった徳武さんですが、プライベートでは家庭を持っていたことが知られています。妻についての詳細な情報は報道されていませんが、音楽業界での長年の活動を支えてくれた存在がいたことは間違いありません。
また、息子の徳武孝音さんは父の志を受け継ぐ形で、音楽活動を続けています。徳武さんが音楽活動から離れた後も、孝音さんを中心に再結成された「ザ・ラスト・ショウ」の支援ライブが行われたことは記憶に新しいですね。家族が音楽という絆で繋がれていることが、何よりも感動的です。
音楽という名の家族
徳武さんにとって、血縁の家族だけでなく「音楽仲間」もまた家族でした。泉谷しげるさん、吉田拓郎さん、南こうせつさんといった仲間たちとは、音を通じて心を交わし続けてきました。彼らとの信頼関係は、何十年にも渡るセッションの歴史に刻まれています。
音楽というのは、言葉を超えた感情のキャッチボールのようなもの。例えるなら、誰かの背中を無言で押してあげるような優しさが詰まっています。徳武さんの演奏には、まさにその「優しさ」が込められていました。
最後に:徳武弘文という“音楽の語り手”
徳武弘文さんの人生は、ギターを通して多くの人々と繋がっていく「対話の旅」だったと言えるでしょう。まるで一音一音が心に語りかけてくるような、そんな演奏に私たちは何度も心を動かされました。
病という困難を抱えながらも、最後まで音楽を愛し、周囲に感謝し続けた姿は、まさに“プロフェッショナル”の鏡です。
今後も彼の演奏は、CDやレコード、YouTubeなど様々な形で私たちの耳に届くでしょう。そしてその音は、きっと「また会おう」と静かに語りかけてくれるに違いありません。
徳武弘文さんのご冥福を心よりお祈りするとともに、その温かい音色がこれからも多くの人の心に残ることを願ってやみません。
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