2025年8月14日、東京ドームで行われた「長嶋茂雄追悼試合」。
巨人と阪神のレジェンドOBによる特別試合として開催され、日本球界の象徴ともいえる“ミスター”の死を悼む場となりました。
しかし、この追悼の舞台に、ある人物の姿がありませんでした。
それは、長嶋茂雄氏の実の長男であり、元プロ野球選手・タレントとしても知られる長嶋一茂氏です。
なぜ、彼は追悼試合という父の一大セレモニーに現れなかったのか――。
この記事では、報道や公開された情報をもとに、「長嶋一茂が出席しなかった理由」を掘り下げ、家族との関係性や世間の反応、背後にある事情を多角的に読み解いていきます。
■ 長嶋茂雄追悼試合とは?その意義と盛り上がり
まずは、今回の追悼試合の位置づけを確認しておきましょう。
長嶋茂雄氏は、2025年6月28日に心不全のため、88歳でこの世を去りました。
プロ野球史にその名を残す名プレーヤーであり、監督としても数々の名場面を作り出した彼の死は、多くの野球ファンにとって大きな喪失となりました。
8月14日に開催された「追悼試合」では、読売ジャイアンツと阪神タイガースのOB選手たちが集結し、過去の名勝負を彷彿とさせるプレーを披露。
スタンドは往年のファンで埋め尽くされ、スタジアム全体が“ミスター追悼一色”に染まりました。
長嶋茂雄氏と縁の深い選手たち――王貞治氏、原辰徳氏、高橋由伸氏などが出席し、試合前には追悼セレモニーも実施。
ジャイアンツの選手たちは背番号「3」を胸に刻んだユニフォームでプレーするなど、野球界全体が長嶋氏を偲ぶ、特別な一日となりました。
■ 長嶋一茂の姿がなかった衝撃と疑問
そんななか、注目されたのは「長嶋家の代表として、一茂氏がどこにも姿を見せなかった」ことでした。
セレモニーの中心には、長嶋茂雄氏の次女であり、ジャイアンツ広報なども務めた長嶋三奈氏が登場。
喪主も務め、献花や挨拶などを通じて父の思い出を丁寧に語りました。
しかし、家族であるはずの長男・一茂氏の姿はどこにも見えず、球団や主催者側からも彼に関するアナウンスは一切ありませんでした。
SNS上では、
「一茂さん、なぜいないの?」
「父の追悼試合に出ないってどういうこと…?」
「三奈さんだけが家族代表って、やはり確執があるのか?」
といった疑問や憶測が飛び交う事態に発展しました。
■ 一茂と茂雄氏の間にあった“長年の確執”
この不可解な「不在」には、実は20年以上前から続く親子間の溝があるとされています。
2000年代初頭、長嶋茂雄氏が脳梗塞を患った後、家族内での介護方針や資産管理などを巡って、一茂氏と妹・三奈氏の間に意見の相違があったと報じられています。
また、一茂氏自身がタレント活動のなかで、
「父とは何年も会っていない」
「妹とは絶縁状態」
「家族というより、“遠い親戚”のような関係」
と語ることもあり、世間には「長嶋家はすでに分裂しているのでは?」という印象が根強く残っていました。
このような背景から、追悼試合のような“家族の顔が見える場”においても、一茂氏は出席しない、あるいは招かれない状況が続いていたと考えられます。
■ 喪主が“一茂ではなく三奈”であった意味
さらに今回注目されたのが、追悼試合をはじめ、公式な喪主としての役割を長嶋三奈氏が担っていたことです。
一般的には、故人の長男が形式的な喪主を務めるのが慣例とされています。
しかし、長嶋家ではその慣習を取らず、次女である三奈氏が家族代表として登場。生前の茂雄氏と最も関係が深かった存在として、最後の見送りを主導しました。
これは一茂氏の“辞退”によるものではなく、長年にわたり疎遠だった父子関係がそのまま反映された結果とも言われています。
■ 一茂氏が出席しなかった「理由」:黙して語らずの美学か
では、今回の追悼試合に一茂氏がまったく関与しなかったのは、「何かしらのトラブルがあったから」なのか、それとも「意思をもって距離を置いた」のか――。
報道でも公式発表でも、一茂氏本人からのコメントは一切出ていません。
しかし、過去の言動を振り返れば、彼が芸能人という立場で“家族の内部事情”を語ることを避けてきたことがうかがえます。
一部のnoteやSNSでは、「一茂氏は事前に式典や葬儀に“静かに見送りたい”と意向を伝えていた」との記述もありますが、真偽は不明。
ただ、父との確執は確かに存在しつつも、敵意ではなく“静かな距離感”を選んでいた可能性は否定できません。
■ 世間の反応:「寂しさ」と「理解」の両方が混在
SNSやファンの声には、「父子で直接会う場があってもよかったのでは?」という意見も多く見られました。
一方で、
「無理に顔を出さなくてもいい。家族の形はさまざま」
「メディア用のパフォーマンスにしなかったのは逆に誠実」
「一茂さんなりの見送り方があったはず」
といった、彼の“静かな不在”に理解を示す声も数多く見られました。
家族間の問題は、外部から完全に把握することが難しいものです。
そして、特に“著名人の親子”という立場にある場合、それぞれが置かれた立場の違いや、メディアとの距離感も影響してきます。
■ まとめ:長嶋一茂という“息子”の選んだ姿勢
今回の追悼試合に長嶋一茂氏が出席しなかったという事実には、表面には出ない数々の背景と感情があると見られます。
それは単なる“不仲”ではなく、20年にわたる親子の“距離のとり方”の結末だったのかもしれません。
彼が何も語らず、何も演出せず、ただ姿を見せなかったことには、父を想うがゆえの静かな敬意が込められていたと考えることもできるでしょう。
父と子、それぞれが著名人という、決して交差しにくい関係のなかで、一茂氏は自らの流儀で“別れ”を選んだ――。それは決して、軽々しく「冷たい」と決めつけられるものではありません。
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