落語界の名士であり、日本テレビの「笑点」大喜利メンバーとしても活躍した桂才賀(かつら・さいが)さん。
彼の落語家としてのキャリアや笑点での活動は広く知られていますが、家族構成やプライベートな一面についてはあまり語られてきませんでした。
また、1988年に笑点を降板した理由についても、さまざまな憶測が飛び交ってきました。
本記事では、桂才賀さんの家族構成や笑点降板の背景について詳しく掘り下げていきます。
桂才賀のプロフィール
- 本名:谷 富夫(たに とみお)
- 生年月日:1950年7月12日
- 出身地:東京都
- 所属:落語協会
- 経歴:
- 1969年:9代目桂文治に入門(前座名「桂文太」)
- 1978年:古今亭志ん朝門下に移籍し「古今亭朝次」に改名
- 1980年:「笑点」大喜利メンバーとして出演
- 1985年:真打昇進と同時に「桂才賀」を襲名
- 1988年:「笑点」を降板
桂才賀さんは、2025年1月21日に虚血性心疾患のため74歳で亡くなられました。
桂才賀の家族構成|妻や子供は?
桂才賀さんの家族については、公にはほとんど語られていません。
しかし、落語家としての長いキャリアを考えると、結婚していた可能性は高いと考えられます。
妻(嫁)について
桂才賀さんの奥様に関する具体的な情報は見つかりませんでしたが、落語家としての活動を長年支えてきた伴侶がいたと考えられます。
落語家は寄席や全国の公演で忙しく、自宅を留守にすることも多いため、妻の支えが不可欠です。
また、桂才賀さんは少年院や刑務所への慰問活動を積極的に行っていたことから、家庭でも温かい人柄だったことが想像できます。
そうした活動に理解を示し、支えてくれる奥様がいたのではないでしょうか。
子供について
桂才賀さんのお子さんに関する公的な情報はありません。
しかし、落語家の多くは息子や弟子に名跡を継がせることが多いため、もしご子息がいれば落語界に関わっていた可能性もあります。
ただし、桂才賀さんの弟子としては「3代目やまと」がいることが確認されています。
もし実子がいなかった場合、弟子が落語家としての意思を継いでいく形となるでしょう。
笑点降板の理由とは?
① 三波伸介の死と番組方針の変化
桂才賀さんは1980年に「笑点」大喜利メンバーに加入しました。
当時の司会者は三波伸介さんで、桂才賀さんは「小圓遊の後継者」として期待されていました。
ところが、1982年に三波伸介さんが急逝。
その後、5代目三遊亭圓楽(楽太郎の師匠)が司会に就任すると、番組の方針が大きく変わりました。
桂才賀さんは「圓楽とは相性が合わなかった」とされており、番組内での扱いも徐々に冷遇されていったようです。
② いじられ役としての難しさ
笑点における桂才賀さんは、キザなキャラクターを演じていました。
これは亡くなった三遊亭小圓遊の役割を引き継ぐ形でしたが、視聴者からのウケが小圓遊ほどではなかったと言われています。
さらに、圓楽司会の時代になると、「不要な存在」とみなされるようになったとも伝えられています。
③ 1988年3月の降板と後任の復帰
1988年3月27日、桂才賀さんは「笑点」を降板。
その際、桂才賀さんと入れ替わる形で、三遊亭好楽さんが復帰しました。
圓楽にとって、
- 好楽(元メンバー)を戻すことで安定感を増す
- 小遊三は新加入メンバーとして起用する
- 楽太郎は直弟子のため守る
- 歌丸、木久蔵、こん平は長年の仲間
といったバランスを考えた結果、桂才賀さんが外されたという見方が強いです。
笑点降板後の活動
少年院・刑務所慰問活動
「笑点」降板後、桂才賀さんは少年院や刑務所の慰問活動に力を入れました。
この活動は1983年から続けていたもので、降板後さらに本格化したそうです。
2008年には、自身の慰問活動についてまとめた書籍を出版。
また、2015年には法務省から「矯正支援官」の委嘱を受けるなど、社会貢献活動にも尽力していました。
晩年の活動
桂才賀さんは寄席への出演を続ける一方で、講演活動や社会貢献にも力を注いでいました。
最後の寄席出演は2024年11月16日の新宿・末広亭だったとのことです。
まとめ
桂才賀さんは、
- 「笑点」元大喜利メンバー
- 少年院や刑務所の慰問活動を長年続けた社会貢献者
- 2025年1月21日に虚血性心疾患で死去(享年74)
という波乱の人生を送った落語家でした。
家族についての詳細は明かされていませんが、落語家としての活動を支えた妻や家族の存在があった可能性が高いでしょう。
また、笑点降板の背景には、番組の方針変更と圓楽との関係が影響していたことが伺えます。
桂才賀さんの功績と人生を振り返ると、単なる落語家にとどまらず、社会貢献にも尽力した人物であったことが分かります。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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