昭和を彩った女優・中山麻理(なかやま まり)さんが、77歳で静かにこの世を去られました。
華やかな芸能界で一時代を築き、その後は母として、そして一人の女性として人生を歩み続けた彼女。
その人生の軌跡を振り返るとともに、結婚・離婚の経緯や家族構成、そして晩年の暮らしぶりに迫ります。
中山麻理さんのプロフィールと華麗なる芸能キャリア
1948年2月1日、東京都世田谷区で誕生した中山麻理さんは、順心女子学園高等学校(現:広尾学園)を卒業後、芸能界へと足を踏み入れました。
彼女の祖父がイギリス系マルタ人であるため、クォーターという国際色豊かなルーツを持っており、整った顔立ちはその影響かもしれません。
女優デビューは1967年、舞台「不信のとき」。
その後、1969年に放送されたテレビドラマ「サインはV」で一躍スターの仲間入りを果たします。当時のスポ根ブームと相まって、最高視聴率39.3%を記録するなど社会現象にまでなりました。
セクシー女優としての地位も確立
クールな美貌とスレンダーながらもグラマラスなスタイルを活かし、中山さんは“セクシー女優”としても多くの話題作に出演。
特に1974年のドラマ「傷だらけの天使」や、映画「炎の肖像」では沢田研二さんとのベッドシーンが注目を集めました。
当時の芸能界ではまだ挑戦的な役柄も多く、ある意味で時代の先を行く存在だったのかもしれません。
三田村邦彦さんとの結婚と離婚
女優として脂が乗っていた1980年、中山さんは俳優・三田村邦彦さんと結婚しました。
きっかけは村上龍氏の映画「限りなく透明に近いブルー」での共演。映画制作中の困難を共に乗り越えるうちに距離が縮まったといわれています。
しかし結婚生活は順風満帆とはいかず、1990年代には三田村さんの不倫が発覚。
当時21歳だった女優・高橋かおりさんとの関係は世間を騒がせ、中山さんは慰謝料として2000万円の損害賠償を求めて訴訟を起こしました。
最終的に1999年、泥沼の裁判を経て離婚が成立しました。
シングルマザーとしての奮闘と家族構成
離婚後、中山麻理さんはシングルマザーとして3人の息子を育て上げました。
- 長男:三田村瞬さん(元俳優)
- 次男:一般人のため非公表
- 三男:中山麻聖さん(俳優として活動中)
特に三男の麻聖さんはドラマや映画での活躍が目立ち、母である中山さんはその報道を何よりも楽しみにしていたとのこと。
「元女優・中山麻理」と表記されることに対しては、少しだけ不満を漏らしていたそうで、その言葉からは“現役であること”への強い誇りが感じられます。
女手一つで3人の子を育てることは容易ではありません。
舞台から一歩引いたとはいえ、再び女優業に戻りつつも、母としての責任を果たす姿には胸を打たれます。
晩年の姿と死因
2024年末に体調を崩し、入院。
病と向き合いながらも、最期は3人の息子たちに囲まれて息を引き取ったそうです。
死因は明らかにされていないものの、「長らくの闘病生活の末に亡くなった」とされており、病気による自然な最期であったと伝えられています。
告別式は近親者のみにより執り行われました。
一般的な報道では目立つことのない静かな別れ。まるで、「そっと幕を引く舞台女優」のように、彼女らしいフィナーレだったともいえるでしょう。
中山麻理さんの人生に想うこと
筆者個人としては、中山麻理さんの人生は“静かな情熱”に満ちていたと感じます。
華やかなスポットライトの中で咲き誇り、その後は家族という名の舞台で母という主役を演じきった彼女。
人生の主役は常に自分自身であるべき、そんなメッセージを体現していたのではないでしょうか。
また、離婚や訴訟といった大きな波にも流されず、最後は「おひとり様ライフ」を満喫していたというエピソードには、ひとりの女性としての強さと自由が垣間見えます。
まとめ:最後まで女優として生きた中山麻理さん
77歳で旅立った中山麻理さん。昭和のテレビ黄金期を支えた彼女の存在は、単なる“女優”にとどまりません。
結婚・離婚・育児・復帰…すべての局面において彼女は誠実に向き合い、生き抜きました。
きっとこれからも、映画やドラマの中で彼女の演技を見返すたびに、多くの人がその存在の大きさに気づくことでしょう。
🕊️ 中山麻理さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
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