日本人でありながら、遠く離れたネパールの地で孤児院を運営し、貧困や環境問題の解決に取り組む社会活動家・竹中俊(たけなか しゅん)さん。若くして国際的な活動を展開し、SNSなどでも発信を続ける彼の人生は、多くの人に勇気と希望を与えています。
竹中俊のプロフィール
- 名前:竹中 俊(たけなか しゅん)
- 生年月日:1996年5月23日(29歳)
- 出身地:大阪府八尾市
- 国籍:日本
- 学歴:びわこ成蹊スポーツ大学 卒業
- 職業:社会活動家・講演家・インフルエンサー
- 所属:一般社団法人Child Support Organization 理事
- 主な活動:ネパール孤児院運営、講演活動、オンラインサロン運営、メディア発信など
生い立ちと幼少期|サッカーから学んだ責任感
竹中さんは大阪府八尾市で生まれ育ち、幼少期からサッカーに情熱を注いでいました。小中学校時代はクラブチームに所属し、キャプテンとしてチームをまとめていたそうです。決してエースプレイヤーではなかったものの、仲間思いで責任感が強い性格から信頼を集め、リーダーシップを発揮していました。
当時の経験が、後の社会活動にも大きな影響を与えます。チームの問題を「自分事」として考え、誰かの失敗も全員で背負う姿勢は、現在の貧困問題や環境問題に対する彼の向き合い方の原点とも言えます。
大学時代と転機|サッカーから社会活動へ
進学したのは滋賀県のびわこ成蹊スポーツ大学。スポーツ科学を学びながらも、大学1年でサッカー部を退部する決断をしました。「このままでは自分の成長が止まってしまう」と感じた彼は、サッカー一筋の人生から一歩外に踏み出すことを決めたのです。
その後、日本中を旅するヒッチハイク企画を始めました。しかも、ただの旅ではなく、「サッカーボールを蹴りながら日本一周する」というユニークな挑戦。SNSでその様子を発信しながら各地を巡り、多くの人と出会い、助けられながら旅を続けました。最初はフォロワー150人ほどだったアカウントが、数日で3,000人まで増加。人とのつながりの力を実感した瞬間でした。
ネパールとの出会い|孤児院運営の始まり
旅の途中で出会った社会活動家が、竹中さんの人生を変えました。その人物がネパールで災害支援活動をしていたことから、「自分も現地を見てみたい」と強く願い、同行を申し出たのです。
大学の夏休みに初めて訪れたネパール。そこに広がっていたのは、貧困や差別、教育の機会を奪われた子どもたちの現実でした。最初は何をすれば良いか分からず、物資の寄付や小さな支援から始めたそうですが、試行錯誤の末、2016年に児童養護施設(孤児院)を設立。現在では30人以上の子どもたちが安心して暮らせる環境を整えています。
施設の方針は「どんな子どもでも受け入れる」こと。孤児だけでなく、家庭の事情で親と暮らせない子ども、障害を持つ子など、多様な背景を持つ子どもたちを保護しています。竹中さんは「35人の子どもたちの父親」として、生活面・教育面の支援を続けています。
困難を乗り越えた経験|子どもたちからの励まし
活動初期は失敗の連続でした。現地で騙されて資金を失ったり、支援が思うように届かなかったり。そんな時、子どもたちの言葉に救われたといいます。
「明日のことは心配しなくていい。今を大切にしよう。僕らといる時は笑っていてね。」
この言葉で心を取り戻した竹中さんは、「誰かの笑顔のために生きる」という信念を胸に、活動を続ける決意を新たにしました。
講演活動と環境問題への関心
ネパールでの経験をもとに、貧困問題だけでなく環境問題にも関心を広げました。気候変動により農作物が収穫できなくなり、貧困が深刻化する現状を目の当たりにしたからです。
以降は「貧困と環境は切り離せないテーマ」として、全国で講演活動を展開。これまでに200回以上の講演を行い、InstagramなどのSNSでも発信を続けています。フォロワーは1万7千人を超え、若者を中心に支持を集めています。
また、自身が経営するバー「Bar.Sunshine」の売上は全額ネパールの子どもたちに寄付。社会活動家同士が交流できるオンラインサロンも主宰し、北海道や沖縄などに拠点を構えるなど、活動の幅を広げています。
学びと成長の軌跡|世界10か国以上の現地視察
竹中さんは、世界各地を訪れ、現地の人々から直接学ぶスタイルを貫いています。オーストラリアの山火事跡地、海面上昇で危機に瀕するバヌアツ、インドや東南アジアの貧困地域など、10カ国以上を自らの目で見てきました。
その経験をもとに、「日々の消費行動が世界を変える」というメッセージを発信。無駄な消費を減らし、作り手の顔が見える商品を選ぶ大切さを説いています。彼自身もミニマリストとして、家を持たずに生活することを選び、環境への負荷を減らすライフスタイルを実践しています。
家族構成・結婚について
竹中俊さんは現在、結婚や妻・子どもに関する公的な情報を明かしていません。ただ、ネパールの施設で共に過ごす子どもたちを「家族」と表現しており、彼にとっての“子ども”とは血縁ではなく、共に生きる仲間を意味しているようです。
InstagramやVoicyなどでも、「ネパールの子どもたちが自分の原動力」と語っており、彼にとって最も大切な家族は、まさに現地で共に笑う子どもたちなのでしょう。
現在の活動とこれからの展望
竹中俊さんは、一般社団法人Child Support Organizationの理事として活動するほか、ウェブメディア「Switch For Social」を運営。社会課題をより多くの人に身近に感じてもらうための情報発信を行っています。
今後は、消費者だけでなく企業や行政との連携を強化し、より大きなインパクトを生むプロジェクトを目指しているとのこと。「誰もが夢をあきらめなくていい社会をつくる」というビジョンのもと、活動は今も進化し続けています。
まとめ|“行動する勇気”が未来を変える
竹中俊さんの人生は、挑戦と継続の連続です。大学生の頃に踏み出した一歩が、いまや多くの命と未来を支える活動へと発展しました。失敗を恐れず動き続ける姿勢、そして「笑顔を絶やさない心」。それこそが、彼が多くの人から尊敬を集める理由でしょう。
遠く離れた国で生きる子どもたちの笑顔のために、日本からできることを発信し続ける――竹中俊さんの挑戦は、これからも続いていきます。