地方自治の現場において、時に国政以上に地域住民の生活に密接な影響を与えるのが「県知事」という存在です。
福井県知事を務めた杉本達治(すぎもと・たつじ)氏も、そのひとり。
国家公務員としてのキャリアを経て地方行政の最前線に立った彼の人生には、官僚・政治家としての側面と、家庭人としての穏やかな姿が共存しています。
本稿では、杉本氏の生い立ちから政治経歴、さらにプライベートにおける結婚生活や家族構成までを網羅的に紹介します。
生い立ちと学歴:岐阜の地から東大へ
1962年7月31日、杉本達治氏は岐阜県中津川市にて生を受けました。中津川市は自然豊かな環境に囲まれた土地で、彼が育った環境は落ち着いた地域社会であったことがうかがえます。
学業においても早くからその頭角を現し、岐阜県立多治見北高等学校を卒業後、国内最難関のひとつとされる東京大学法学部へと進学。
法律という枠組みを通じて社会の仕組みに興味を持ち、将来的に公共のために働くことを志したのも、この頃ではないかと推測されます。
1986年3月、東京大学を卒業。翌4月には旧自治省(現在の総務省)に入省し、国家公務員としての道を歩み始めました。
国家公務員時代:自治の現場で積み重ねた経験
旧自治省に入った杉本氏は、その後数十年にわたり、全国各地の自治体や中央官庁で多様な行政経験を積み重ねていきます。
初期には長野県地方課や徳島市財政部、さらには山形県商業経営課などへの出向を経験し、現場の空気を肌で感じながら地方行政の現実と課題に真摯に向き合ってきました。
1990年代から2000年代にかけては、税務や財政、文化政策といった分野を担当し、地方財政の健全化や文化振興など、地域の活性化に関わる重要なポジションを担いました。
特に福井県総務部長としての任務は、後の福井県知事就任へと繋がる布石だったとも言えるでしょう。
中央官庁では、総務省自治税務局の課長や消防庁での防災関連部門、さらには公務員制度を所掌する部長職などを歴任し、国と地方をつなぐ実務において中心的な役割を果たしました。
福井県との縁:副知事から知事へ
福井県との本格的な関わりは2004年に総務部長として赴任したことに始まります。
その後2013年には福井県副知事に就任。県政の内側に深く関与しながら、地域課題に取り組み続けました。
2019年、現職の西川一誠氏に代わり、福井県知事選挙に出馬。
激しい選挙戦を制して、初の県知事の座を射止めます。
無所属ながら自民党福井県連の支持を受け、官僚出身というバックグラウンドが信頼感に繋がった形です。
知事としては、防災対策や原子力政策に対する見解、地域振興策、さらにはLGBTQに関する社会制度の研究・検討など、多角的な視点で県政運営に取り組んでいました。
また2023年には2期目に突入し、一定の評価を得ていたことがうかがえます。
しかし、2025年には一部報道でセクハラ疑惑が持ち上がり、最終的には県議会での辞職承認を経て公職から退く形となりました。
この一件が杉本氏のキャリアにどう影響するかは、今後の本人の対応と社会の受け止め方により変わっていくことでしょう。
家庭生活:妻・裕子さんとの30年以上の歩み
一方、政治家・官僚としての公の顔とは対照的に、杉本氏の私生活には、家庭人としての温かみある一面が垣間見えます。
1991年6月30日、杉本氏は裕子(ゆうこ)さんという女性と結婚しています。
裕子さんは、彼の公私にわたる長きに渡るパートナーであり、政治活動に対しても理解と支援を惜しまなかったとされています。
2023年には結婚32周年を迎えたことが杉本氏自身のSNS投稿から確認されており、その際には妻とともに寿司を楽しんだと語っていました。
日常の中にある小さな幸せを大切にする姿勢が印象的です。また、妻の誕生日が11月19日であることも明かされており、記念日を大切にする人物像が浮かび上がります。
子供たちとの関係:息子と娘、それぞれの成長
杉本氏には、息子と娘が一人ずついます。いずれも成長し、家庭を持つ世代となっています。
息子さんは2022年に結婚されており、新たな人生を歩み始めています。
杉本氏はこの出来事についてもSNSで報告しており、息子の門出を見守る父としての素直な喜びが伝わってきました。
娘さんについては、2019年の時点で大学4年生であったとされており、推定では1997年前後の生まれと見られます。
彼女とは日頃から交流があるようで、バレンタインデーにはチョコレートやキーホルダーを贈られるなど、家族間の温かいエピソードが数多く見られました。
また、娘からSNS(旧Twitter)の使い方を教えてもらったという微笑ましいエピソードもあります。親子の距離が近く、互いに尊重し合う関係性が感じられます。
家族への年賀状:毎年続けてきた小さな習慣
杉本氏の家族への思いは、年賀状という形でも表れています。
結婚以来、彼は毎年欠かさず、妻と子供たちそれぞれに向けて年賀状をしたためてきたといいます。
単なる形式的な挨拶ではなく、その年の出来事を一言添え、さらに干支にちなんだメッセージを入れるという独自のスタイルを貫いているとのこと。
こうした心のこもった年賀状は、家族にとっても毎年楽しみにしている恒例行事のひとつとなっているようです。
官僚として、また県政のトップとして多忙を極める中でも、こうした小さな心配りを忘れない姿勢には、杉本氏の家庭人としての一面がよく表れています。
杉本達治氏という人物:公人と私人の間で
杉本氏の人生を振り返ると、常に「公共」と「個人」のバランスを意識しながら生きてきたように見えます。
東京大学というエリート校を卒業後、国の中枢で政策立案に関わりながら、地方に目を向け続けてきた姿勢。福井という地域に深く根を下ろし、県民との信頼関係を築いてきた実績。
そして、家族との確かな絆に支えられながら、一人の父として夫としての役割も全うしてきたことがうかがえます。
もちろん、後年の不祥事は政治家として大きな傷となり得るものですが、その評価は今後の行動や発信によって変わっていく余地もあります。
家庭における誠実な姿勢や、積み重ねてきた地域との信頼が、再び彼の社会的な立場を築く基盤となる可能性も否定はできません。
結びにかえて
杉本達治氏の歩んできた道のりには、地方行政の現場で汗を流す実務家としての堅実さと、家庭を大切にする父親・夫としての姿が共存しています。
政治家の公的な面ばかりが取り上げられがちな中、こうした個人としてのエピソードに光を当てることは、より立体的な人物理解に繋がることでしょう。
今後、杉本氏がどのような形で社会との関わりを持ち続けていくのかは未知数ですが、これまでの経験と知見、そして家族との絆が彼の人生の支えとなっていくことは間違いありません。

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