日本を代表する思想家・フランス文学者でありながら、武道家やエッセイストとしても異彩を放つ内田樹(うちだ たつる)氏。社会問題や哲学、教育論までを鋭い視点で語るその知性に惹かれる人は少なくありません。この記事では、彼の波瀾万丈な人生と家族にまつわるエピソードを、経歴・学歴・結婚・子供の視点からわかりやすくご紹介します。
プロフィール:多面的な才能を持つ思想家
- 名前:内田 樹(うちだ たつる)
- 生年月日:1950年9月30日
- 出身地:東京都大田区下丸子
- 身長:175cm
- 肩書き:フランス文学者・合気道家・エッセイスト・翻訳家
- 現在:神戸女学院大学名誉教授、合気道道場「凱風館」館長
学歴と経歴:挫折と挑戦の連続
内田氏の学生時代は、順風満帆とは言い難いものでした。高校在学中に成績が振るわず、ついには退学処分に。家出してジャズ喫茶で働いたこともあるという異色の経歴を持ちます。
その後、自らの力で大学入学資格検定を取得し、東京大学文科三類に進学。仏文科でフランス文学を学び、卒業後は東京都立大学大学院へ進みます。修士課程を修了し、博士課程も進んだものの中退。その後は翻訳業や教育活動に携わり、最終的に神戸女学院大学で教授職に就くまでになります。
学術面では、エマニュエル・レヴィナスに大きな影響を受け、多くの著作で彼の思想を取り上げています。『ためらいの倫理学』『日本辺境論』などの著書は高い評価を受け、知識人としての地位を確立しました。
武道家としての一面
内田氏は武道にも深い造詣を持ちます。合気道では七段、居合道および杖道では三段を取得。大学教員を退任後には、神戸市東灘区に「凱風館」という道場を設立し、そこで合気道の指導を行っています。ここでは能舞台も併設されており、文化と身体技法を融合した空間として注目されています。
結婚歴:元妻と現在の妻
最初の結婚
1976年、内田氏は4歳年上の女性と最初の結婚をします。この相手は、政治家・平野三郎氏の娘であり、内田氏は彼女との間に娘をもうけます。結婚生活は一定期間続きましたが、1989年に離婚を迎えています。
この最初の結婚では、平野三郎氏から日本国憲法第九条に関する貴重な見解を直接聞いた経験があるそうです。特に、平野氏が「憲法九条は幣原喜重郎が自ら提案した」と語ったという証言は、内田氏の平和主義的思想形成に大きな影響を与えたとされています。
現在の妻は元教え子
再婚相手は、内田氏が神戸女学院大学に赴任した当時の教え子だった高橋奈王子(たかはし なおこ)さん。彼女は能楽師として活動しており、大倉流小鼓方に属しています。2009年に内田氏と再婚し、年齢差は20歳ということでも話題となりました。
高橋氏は能楽部での稽古指導や演奏活動を行うなど、伝統芸能の世界でも活躍を続けています。趣味や思想の共鳴から交際が始まったとされ、長年にわたる関係性を経て結婚に至ったとのことです。
娘・内田るんとの関係
前妻との間に生まれた一人娘・内田るんさんは、詩人でありフェミニスト、さらにバンド活動や編集にも携わる多才な人物です。幼少期に両親が離婚した際には、父である内田氏と一緒に暮らす道を選びました。
内田るんさんは、親子の関係性や家族に対する思いを率直に発信する人物で、SNS上でも多くの共感を集めています。2020年には父娘による往復書簡『街場の親子論』を出版。ここでは家族間の対話やすれ違い、再構築の過程が丁寧に描かれ、深い感動を呼びました。
現在の活動:教育・思想・武道を融合
内田氏は現在も、各方面で積極的に活動しています。神戸女学院大学の名誉教授として教育分野に貢献する一方で、「内田樹の研究室」というブログを通じて社会的提言や文化論を発信中。
また、道場「凱風館」では、身体を通した学びや武道の精神を伝える指導者としての役割も担っています。思想家としての枠を超え、身体論や教育哲学、さらには地域社会の問題にも関心を持ち続けています。
彼の言葉は、単なる知識の披露ではなく、現代を生きる人々への応援や指針にもなっており、多くの人に支持されているのです。
まとめ
内田樹氏の人生は、挫折からの出発、学問への真摯な取り組み、武道による身体鍛錬、そして家族との深い関係性に彩られています。知識人としての顔だけでなく、父として、夫として、一人の人間としての彼の姿に、多くの人が共感や学びを得ているのではないでしょうか。
今後も、内田氏の発信から目が離せません。