【死因:病気】西本喜美子のWikiや息子など家族構成まとめ!

「写真は若者だけのもの」と思っている方にとって、西本喜美子さんの存在は驚きだったかもしれません。彼女はなんと72歳でカメラを始め、90歳を過ぎてもユーモアたっぷりの“自虐自撮り”をSNSに投稿し続け、インスタグラムのフォロワー数は約38万人。そんな“自撮りおばあちゃん”として世界に笑いと感動を届けてきた西本喜美子さんが、2025年6月9日、97歳でその生涯を終えました。

この記事では、彼女の死因や家族構成、プロフィールを中心に、彼女の人生と魅力を深堀りしていきます。


西本喜美子さん死去 ― 最後までユーモアと美意識を忘れずに

2025年6月9日、西本喜美子さんが病気療養の末、97歳で亡くなったことが家族のインスタグラム投稿により報告されました。生前の投稿では「しばらく入院してみます」と葉っぱをくわえたお茶目な写真を添えて発信しており、最期まで彼女らしいユーモアがにじみ出ていました。

SNS上では「信じられない」「元気をもらっていたのに」といった哀悼のコメントが多数寄せられ、彼女がいかに多くの人に笑顔を与えていたかがうかがえます。


西本喜美子さんのプロフィール:一言で言えば「行動力の人」

  • 名前:西本 喜美子(にしもと きみこ)
  • 生年月日:1928年5月22日
  • 出身地:ブラジル(農業指導で滞在中の両親のもと誕生)
  • 帰国:8歳のときに熊本へ
  • 職歴:美容師 → 競輪選手 → 主婦 → 写真家
  • 写真家としての活動期間:2000年頃〜2025年(約25年間)

彼女の人生は、いわば“第二・第三のキャリア”の連続です。美容師から女子競輪選手へ転身したり、70歳を超えて写真家として名を馳せるなど、常識や年齢にとらわれないその生き様は「人生、何歳からでもやり直せる」というメッセージそのものでした。


カメラを始めたきっかけは? 息子・西本和民さんの影響

カメラを始めたのは72歳。きっかけは、息子の西本和民(にしもと かずたみ)さんが主宰する写真教室「遊美塾」でした。教室の生徒から「一緒にやってみませんか?」と誘われたことが、人生の転機に。

和民さんは、東京を拠点に活躍するアートディレクターで、かつてはCHAGE and ASKAやB’z、相川七瀬など、昭和~平成を代表するアーティストのレコードジャケットを数多く手掛けた実績を持ちます。

元グラフィックデザイナーとして「良い写真がないなら自分で撮ろう」と考え、写真家としても活動を始めた彼の影響で、西本喜美子さんもまた独自のスタイルを築いていきました。


家族構成は?3人の子どもに囲まれた人生

西本喜美子さんは結婚後、3人の子どもを育てながら家庭を支える主婦として過ごしました。長男の西本和民さんのほかに、詳細は明かされていないものの、もう2人の兄弟姉妹がいるようです。家庭ではしっかり者の母親だった彼女が、写真家として活動を始めた後も、家族との絆は非常に強く、撮影や作品の制作にも協力的だったそうです。


“自虐自撮り”という唯一無二の表現

西本喜美子さんの写真作品は、ただの「自撮り」ではなく、日常の中にユーモアと演出を取り入れた“自虐系”が特徴的。ゴミ袋に入った写真や、車に轢かれたようなポーズ、カーリングのような動きを再現したCM風映像など、その発想力には驚かされます。

例えるならば、「人生の面白さを写しとるレンズ」であり、年齢や常識を超えた自由な発想が、彼女の作品には詰まっています。

個人的には、浴室モップを使って「やかんカーリング」をする彼女の写真を初めて見たとき、笑いながらも「こんな発想、自分には絶対できないな」と感服した記憶があります。


写真家としての活動と社会的影響

2000年代初頭から写真を始め、2010年には熊本県立美術館で初の個展を開催。2016年にはフォトエッセイ『ひとりじゃなかよ』(飛鳥新社)を出版。さらには2017年にAdobe(アドビ)社からアートディレクターとして任命されるなど、プロ顔負けの活躍を続けてきました。

また、講演会やワークショップ、SNSを通じて「高齢者×デジタル」の新しい可能性を提示。社会的には「高齢でも自己表現ができる時代」を象徴する存在として、多くの人に希望を与えました。


最期までクリエイティブだったその人生に敬意を

西本喜美子さんの人生を振り返って思うのは、「挑戦に遅すぎることはない」ということです。

  • 72歳でカメラを持ち、
  • 74歳でPhotoshopとIllustratorを習得し、
  • 90代でもMacを操作し、
  • 97歳まで作品を作り続けた。

まるで「老いてなお盛ん」を地で行くその姿に、誰もが一度は“何か始めてみたい”と背中を押されたのではないでしょうか。


まとめ:笑顔と創造性に満ちた「喜美子イズム」を永遠に

西本喜美子さんは、単なる“自撮りの面白いおばあちゃん”ではありません。彼女は、人生を創造し続ける人でした。笑顔、ユーモア、そして何より「やってみよう」の一歩が、世代を超えて多くの人の心に残ったことでしょう。

ご冥福を心よりお祈りするとともに、彼女が遺してくれた笑顔と創造性のレガシーが、今後も私たちの中で生き続けることを願ってやみません。

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