日本とメキシコで活躍した伝説的プロレスラー、グラン浜田さん(本名:浜田広秋)が74歳で亡くなりました。
日本にルチャリブレ(メキシコのプロレススタイル)を広めた功績を持ち、「小さな巨人」と称された名レスラーでした。
本記事では、グラン浜田さんの死因や病気、家族構成について詳しくご紹介します。
グラン浜田の死因や病気は?
グラン浜田さんは長い闘病生活を送っていたことが明らかになっています。
2024年11月、娘で女子プロレスラーの浜田文子さんがSNSを通じて、父の病状について報告しました。
「11月上旬から非常に危険な状態と医師に言われています。11月16日には喉と腹部の手術を受け、酸素と栄養剤を入れています。」
メキシコで闘病中の伝説的レスラーが奇跡の回復 “危険な状態”から3カ月…娘が報告「父は決して諦めず」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース女子プロレスラーの浜田文子(43)が6日、自身のインスタグラムを更新。命の危険にさらされていた元プロレスラーの父・グラン浜田氏(74)が、奇跡的な回復を遂げたことを報告した。 文子は昨年11月
この発表からもわかるように、重篤な体調不良が続いていたようです。また、文子さんは献血の協力を呼びかけており、血液の病気や手術後の体調管理が必要だったと考えられます。
2025年1月には、一時的に回復して退院したことが報じられました。
「日本時間の1月31日(金)に退院。家族と一緒に日本のテレビを見ながら回復に努めています。」
メキシコで闘病中の伝説的レスラーが奇跡の回復 “危険な状態”から3カ月…娘が報告「父は決して諦めず」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース女子プロレスラーの浜田文子(43)が6日、自身のインスタグラムを更新。命の危険にさらされていた元プロレスラーの父・グラン浜田氏(74)が、奇跡的な回復を遂げたことを報告した。 文子は昨年11月
しかし、最終的には体調が再び悪化し、2月15日に逝去しました。
死因の詳細については正式な発表がされていませんが、長期の闘病生活を経ての死であることは間違いないでしょう。
グラン浜田の家族構成|妻や子供は?
グラン浜田さんの家族についても見ていきましょう。
妻
妻についての詳細な情報は公表されていませんが、メキシコと日本を行き来する生活を送っていたことから、家族もメキシコにゆかりがある可能性が考えられます。
娘|浜田文子
グラン浜田さんの娘である浜田文子さんは、日本とメキシコで活躍した女子プロレスラーです。
彼女も父と同じくルチャリブレスタイルのプロレスを得意とし、アジャ・コングやダイナマイト・関西といった名レスラーと名勝負を繰り広げたことで知られています。
文子さんは、父の病気の際にはSNSで献血協力を求めたり、病状を報告したりと、積極的にサポートしていました。
グラン浜田のプロフィール
グラン浜田さんのプロフィールです。
- 本名:浜田 広秋(はまだ ひろあき)
- リングネーム:グラン浜田、リトル浜田
- 生年月日:1950年11月27日
- 没年月日:2024年2月15日(享年74歳)
- 出身:群馬県前橋市
- 身長:167cm
- 体重:90kg
- デビュー:1972年3月16日(対 藤波辰巳戦)
- 得意技:マリポーサ殺法(華麗な空中技)
- 所属歴:新日本プロレス(旗揚げ前に入門)ーメキシコ遠征(トップレスラーとして活躍)ーユニバーサル・プロレスーみちのくプロレス(1995年入団)ーフリー(2001年以降)
- 家族:娘・浜田文子(女子プロレスラー)
- 主な実績:ルチャリブレ(メキシコプロレス)を日本に広めた功績、多くの日本人レスラーのメキシコ遠征をサポート、1980年代以降、日本国内団体でも活躍
日本とメキシコを股にかけた名レスラーとして、多くのプロレスファンに愛された存在でした。
グラン浜田のプロレスキャリア
グラン浜田さんは、身長167cmと小柄ながらも卓越した運動能力を武器に活躍したレスラーでした。
1972年に新日本プロレスへ入門し、デビュー。
1975年からメキシコへ渡り、「マリポーサ殺法(蝶のように舞う華麗な空中技)」を駆使し、トップレスラーとしての地位を確立しました。
また、日本へ凱旋後もユニバーサル・プロレスやみちのくプロレスで活躍し、多くのレスラーに影響を与えたことで知られています。
まとめ
- グラン浜田さんは2024年2月15日に74歳で死去。
- 病気による長期闘病を経て亡くなったが、詳細な死因は公表されていない。
- 娘の浜田文子さんもプロレスラーで、父の看病や支援をしていた。
- メキシコと日本で活躍し、ルチャリブレを日本に広めた伝説的レスラーだった。
グラン浜田さんの功績は、これからも語り継がれていくことでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。
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