2025年6月、国民的英雄と称された「ミスタープロ野球」こと長嶋茂雄さんの訃報が報じられ、日本中に衝撃が走りました。
そして、その葬儀において注目を集めたのが、「なぜ喪主が長男・一茂さんではなく、次女・三奈さんだったのか?」という点です。
▼関連記事
喪主は一般的には長男が務めることが多いとされていますが、今回は異例の展開。
そこには、家族の関係性や現代社会の変化が色濃く反映されていました。本記事では、喪主が三奈さんになった背景と、兄妹の関係に潜む真相を探ります。
なぜ長女でも長男でもなく、三奈さんが喪主に?
一般的な感覚では、「長男=家の代表」という考えが根強く残っています。
ところが、今回喪主を務めたのは長島三奈さん。これは世間でも驚きを持って受け止められ、SNSでも「なぜ?」という声が相次ぎました。
しかし、現代において喪主の選定は「法律」や「慣習」ではなく、故人との関係性や遺族の事情が大きな要素になります。
特に著名人であればあるほど、メディア対応や式典での振る舞いが求められるため、「ふさわしい人が務める」という傾向が強まっているのです。
三奈さんが喪主に選ばれた納得の理由
① 長年の介護と寄り添い
三奈さんは2004年に茂雄さんが脳梗塞で倒れて以降、母・亜希子さんとともに看病に奔走。
そして、2007年に母が他界してからは、三奈さんが“父のケアを一手に担う”存在になりました。
食事やリハビリの付き添い、移動時の介助に加え、公の場に出る際の準備やサポートまでも彼女が行っていたとされます。
単なる「家族」以上の存在として、まさに父の“右腕”として人生を共にしてきたのです。
② オフィスエヌ代表としての立場
三奈さんは長嶋茂雄さんの個人事務所「オフィスエヌ」の代表を長年務めており、肖像権やブランド管理なども一手に引き受けてきました。
長嶋家の“公式窓口”として、メディアや球界関係者とのやり取りを日常的にこなしていたことからも、公私ともに「家族代表」としての立ち位置が明確だったと言えます。
一茂さんが喪主を務めなかった背景には“確執”が?
かつてプロ野球選手として活躍し、現在はタレント・コメンテーターとして活躍中の長嶋一茂さん。しかし、彼と長嶋茂雄さん、そして家族との間には長年にわたる確執が報じられてきました。
■ 13年会っていなかったという告白
2021年、一茂さんは自身のエッセイにて「父とは13年間一度も会っていない」と明かしました。これは2008年頃から家族との接触がほとんどなかったことを意味し、精神的な“距離”がかなり広がっていたことを示しています。
■ 商標権トラブルや家財処分問題も
さらに2009年頃には、「長嶋茂雄」の商標権をめぐり、一茂さんの事務所とオフィスエヌが対立していたとの報道も。また、父に関する記念グッズなどを処分したという出来事も、兄妹の関係に深い亀裂をもたらしたと考えられています。
喪主の役割は「肩書き」ではなく「関係性」で選ぶ時代へ
今回のケースが象徴するように、もはや「長男だから」「家督を継ぐから」といった旧来の価値観は通用しなくなりつつあります。
それよりも重要なのは、「誰が生前の本人に最も寄り添っていたか」「誰がその意思を代弁できるのか」という視点です。三奈さんが喪主に選ばれたのは、当然の流れだったのかもしれません。
一方、一茂さんはメディアで遺産相続に関しても「かなり前から放棄している」と発言しています。
それは決して親不孝ではなく、「自分の人生を歩みたい」という強い意志の表れだったのかもしれません。
言い換えれば、“茂雄さんの息子”ではなく、“長嶋一茂という個人”としての道を選んだ――それもまた、現代の家族の一つの在り方だと感じます。
まとめ:喪主問題が映し出す、家族のかたちの多様性
今回の喪主問題は、単なる“家族の序列”や“確執の有無”を超えて、現代における家族のかたちそのものを考えさせられる出来事でした。
- 長嶋一茂さんは「距離をとる」ことで自立を選び、
- 長島三奈さんは「寄り添う」ことで父の人生に寄り添い続けた。
どちらの在り方も、決して間違いではなく、**それぞれの「家族の愛のかたち」**なのだと思います。
長嶋茂雄さんの偉大な功績とともに、こうした家族の姿も、これから語り継がれていくのではないでしょうか。
コメント