2025年6月3日、日本プロ野球界のレジェンド・長嶋茂雄さんが肺炎のため逝去され、その自宅には連日多くの弔問客が訪れています。
そんな中、元NHKアナウンサー・青山祐子さんの弔問時の服装が、意外な形で注目を集め、SNSを中心に賛否両論が巻き起こっています。
特に話題となったのは、彼女が身にまとっていた黒のワンピースの「シースルー」デザイン。両腕や脚がレース越しに透けて見えるスタイルに、「弔問の場にふさわしいのか?」といった声が多数寄せられているのです。
この記事では、青山祐子さんの服装に対するSNSの反応や、そこに浮かび上がるTPOに対する意識のずれ、さらには現代の“ファッションと常識”の境界線について、掘り下げてみたいと思います。
弔問時の服装が“華美すぎた”?青山祐子さんの装いとは
まず、現場で報道された青山さんの服装は、以下のような特徴がありました:
- 全体は黒で統一されたワンピーススタイル
- 両腕部分がレース仕様で、素肌が透けて見えるデザイン
- スカートの丈は長めだが、脚もレース越しに透ける仕様
- 手には青色のバッグを所持していた
一見すると、確かに「ブラックフォーマル」と言えなくもないものの、露出感や装飾性の強いデザインは**“パーティードレスのようだ”**とSNS上で例えられるほどでした。
SNSでは「不謹慎」「残念」の声が相次ぐ
青山さんのファッションに対し、SNSでは厳しいコメントが目立ちました。
「足まで透けて見えるのはさすがに場違い」
「お別れの場にセクシーな印象の服は違和感がある」
「黒だから良いって話じゃない。TPOを考えてほしい」
「テレビから離れていたから感覚がずれてる?」
一方で、擁護の声も一部には見られます。
「黒であればいいという意見もある。時代の流れもある」
「何も知らない人が叩いてる気もする。親交があったからこそ感情が先に出たのでは?」
どちらにしても、“場の空気”にそぐわないと感じた人が多かったのは事実のようです。
本人は感極まり「言葉が出ない」とコメント
服装への注目とは裏腹に、青山さん本人は長嶋茂雄さんの死を悼む気持ちを前面に出しており、報道陣の問いかけに対し涙ながらにこう語りました。
「言葉が出ないです……。感謝しかありません。」
また、青山さんは自身のInstagramでも長嶋氏との思い出を振り返り、
「脳梗塞後も『もう一度走りたいね』と夢を語っていました」
と投稿しており、その関係性が深いものであったことは明らかです。
しかし、感情の強さと服装の“形式”が一致しなかったことで、逆に注目を集めてしまったとも言えます。
弔問における「装い」とは?フォーマルの基本
そもそも、弔問の場にふさわしい服装とは何でしょうか?
一般的な弔問マナー
- 全身黒系のシンプルな装い
- 肌の露出を抑える(ノースリーブ、ミニスカートは避ける)
- 装飾のないバッグ、靴、アクセサリーを選ぶ
- 派手な化粧やネイルは控える
これらは、単に“地味であること”が求められているのではなく、「喪に服する」という気持ちを形として表す行為と考えられています。
その点から見ると、レースやシースルーはファッション的には美しくても、「控えめで慎ましい」とは受け取られにくいという背景があるのです。
価値観の変化?「弔問ファッション」も多様化の時代
一方で、時代の移り変わりによって価値観も変化しています。都市部では、黒いワンピースであれば「十分に配慮された装い」と受け止められることも多く、喪服の定義も画一的ではなくなってきているのも事実です。
特に芸能界やメディア関係者の場合、テレビや報道を通じて視覚的に捉えられる機会が多いため、“フォーマル+美しさ”のバランスを意識せざるを得ない事情もあるのかもしれません。
とはいえ、それが世間一般の「喪の場」における常識とズレを生む原因になってしまうこともあります。今回の青山さんの件は、そのズレが**「ギャップとして炎上」**した例とも言えるでしょう。
個人的感想:悪意ではなく、意識の違いだったのかもしれない
個人的に言えば、青山祐子さんがあの場に“わざと”目立つ格好で現れたとは思えません。むしろ、自分なりの弔意を表そうとし、精一杯の装いで訪れたのではないでしょうか。
ただ、弔問の場は自分の感情だけでなく、**他者の視線も含めて「共有する時間」**でもあります。だからこそ、装いひとつにも“空気を読む力”が求められるのかもしれません。
「オシャレは自己表現」と言われる時代だからこそ、場面によっては“自己抑制”が最上の礼儀である場合もあるのだと、改めて感じました。
まとめ:見た目に表れる「心のあり方」
青山祐子さんの両腕シースルーの服装は、ファッションとして見れば決して派手すぎるものではなかったかもしれません。しかし、**「弔問」という場において、その装いがどう受け取られるか?**という視点が欠けていたことが、今回の騒動の本質です。
服装は、時として“無言のメッセージ”となります。悲しみの席では、そのメッセージが慎みと配慮をもって伝わることが最も望ましい。
今回の件が、それぞれが持つ常識や感覚の違いを考えるきっかけとなれば、不幸中の教訓として私たちにも意味がある出来事だったのかもしれません。
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