2001年に結成され、ジャニーズJr.時代から圧倒的な人気を誇ってきたKAT-TUN。デビュー後は「Real Face」などの大ヒットを飛ばし、破天荒でクールなグループ像を武器に一時代を築きました。
しかし2025年3月31日、約24年におよぶ活動に終止符が打たれました。
多くのファンにとって衝撃的だったこの“解散”の背景には、何があったのでしょうか?
本記事では、2025年12月放送のバラエティ番組「あちこちオードリー」に出演した中丸雄一さんの発言をもとに、KAT-TUN解散に至った経緯とその“原因”について掘り下げていきます。
■中丸雄一がテレビで語った“KAT-TUN解散の裏側”
KAT-TUNの解散から約9か月後に放送されたテレビ東京系のバラエティ番組「あちこちオードリー」に、元メンバーの中丸雄一さんがゲストとして出演しました。
そこで中丸さんは、かつてのグループ活動や、解散に至るまでの思いを率直に語りました。
特に注目されたのは、MCの若林正恭さんから投げかけられた「グループが終わることになった原因は何だったのか?」という問いに対する発言でした。
「俺のせいじゃないですよ!!」
スタジオに笑いが広がったこの一言。しかし、その裏にはファンが長年感じていた「中丸さんがKAT-TUN解散の引き金を引いたのでは?」という疑念への、はっきりとした否定のメッセージが込められていました。
■“女子大生報道”と解散時期の一致が生んだ誤解
KAT-TUNの解散が発表された直後、中丸雄一さんにまつわる週刊誌報道が出ていたことを覚えているファンも多いでしょう。
2025年2月、ある週刊誌によって「中丸雄一、女子大生との深夜密会報道」が報じられました。
内容は中丸さんが都内のバーで女子大生と親しげに会話していたというもので、写真付きで掲載されたことで注目を集めました。
この報道が解散発表と同時期だったこともあり、「グループのイメージに傷がついたのではないか」「報道がトリガーになったのでは?」という声が一部ネット上で上がりました。
しかし、今回のテレビ番組で中丸さん自身がその可能性を強く否定。
報道の真偽について詳細には触れなかったものの、**「グループ解散の決断はそれ以前から話し合われていたもの」**であり、自身のスキャンダル報道とは関係ないという姿勢を明確にしました。
■KAT-TUNの“変遷”とグループとしての限界
KAT-TUNはデビュー当初6人組でスタートしたグループでしたが、長年の活動の中で次第にメンバーが脱退。
- 赤西仁(2010年脱退)
- 田中聖(2013年脱退)
- 田口淳之介(2016年脱退)
という流れを経て、最終的には亀梨和也さん・上田竜也さん・中丸雄一さんの3人体制となっていました。
活動休止期間(2016年〜2018年)を挟みながらも、3人はグループの継続に力を注いでいましたが、それぞれが個人の仕事でも活躍し始めたことで、「グループとしての意義」に再び向き合うタイミングが訪れたようです。
中丸さんは番組内で、
「それぞれが“個”として自立していたし、やりたいことも違っていた」
「あえてグループとして続けていく理由が見つけづらくなっていた」
と語り、解散は前向きな選択だったことを強調していました。
■「解散ライブでメンバー全員が涙を流した」本当の別れの瞬間
KAT-TUNの解散に際して、最後のコンサートは行われました。
そのラストステージで、3人はファンへの感謝を伝えながら、それぞれの思いを語り、全員が涙を流す姿が印象的だったと報じられています。
中丸さんはその光景を振り返りながら、
「KAT-TUNを始めたことに後悔はない」
「あの時間があったから、今の自分がある」
と語り、グループ活動が自分の人生においてかけがえのないものだったと語りました。
決して誰かが悪かったわけでも、問題を起こしたわけでもない——
円満かつ自然な“解散”という選択だったことが伝わる発言でした。
■赤西仁との関係性にも言及「今ではたまに連絡する仲」
KAT-TUN解散の背景を語る中で、ファンが気になったのがかつて脱退した赤西仁さんとの関係性です。
2000年代中盤にはKAT-TUNの“顔”として最も注目を集めていた赤西さんですが、方向性の違いを理由に2010年にグループを離れ、その後はソロで海外活動などを行っていました。
中丸さんは番組内で、最近赤西さんとメッセージのやり取りをする程度の関係性があることを明かしました。
「“元気してる?”って、たまにLINEが来たりする」
かつての確執をにおわせることは一切なく、むしろ**“年月を経て穏やかな距離感を保っている”**という印象でした。
ファンにとっては嬉しい裏話だったのではないでしょうか。
■KAT-TUNは「終わった」のか?ファンが求める“復活”の可能性
KAT-TUNは形式上“解散”となっていますが、グループ名が完全に消滅したわけではありません。
- メンバーは事務所(STARTO ENTERTAINMENT)に所属したまま
- 音源や映像コンテンツは今後も配信・販売継続
- ファンイベントやドキュメント作品のリリースの可能性も
このように、「再結成」や「一夜限りのライブ」などが行われる余地もあると見られています。
特にファンの間では、
- 「また3人で歌う姿が見たい」
- 「KAT-TUNの楽曲はずっと聴き続ける」
- 「解散という言葉は使ってほしくなかった」
という声が多く、グループの存在そのものは“解散”しても、ファンの心には今も生き続けていることが感じ取れます。
■「俺のせいじゃない」の裏にあったメッセージ
番組内で中丸雄一さんが笑いを交えながら言った「俺のせいじゃないですよ!」という発言は、ファンの中に残っていたモヤモヤを吹き飛ばす大きな一言だったといえるでしょう。
これまで週刊誌報道やSNSで囁かれていた「もしかして彼が…?」という疑念は、当事者の口から語られたことで完全に払拭された形です。
むしろ彼の真面目で誠実な人柄があったからこそ、KAT-TUNはメンバーの入れ替わりや休止を経ても、解散までしっかりと活動を全うすることができたのかもしれません。
■まとめ:KAT-TUNの解散は「誰かのせい」ではなく「自然な決断」
グループの解散という出来事には、どうしても「原因は誰?」といった問いがつきまといます。しかし、今回のKAT-TUNに関しては、特定の誰かに責任を押し付けるような結末ではありませんでした。
むしろ、
- それぞれの道を尊重し合える関係性
- グループとしての役目を全うしたという達成感
- 最後まで感謝を伝えた3人の姿
これらの要素こそが、KAT-TUNの“最後の美学”だったのかもしれません。
中丸雄一さんの言葉を借りるなら、「KAT-TUNをやっていて良かった」という結論に、全てが集約されているのではないでしょうか。

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